2011年11月1日火曜日

誠実に教育をもとめる人々を翻弄する  LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校の設立の心証があるのに


公表し 取り組まない
 LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校づくり

窪島氏は、NPO法人滋賀大キッズカレッジのことを次のように書いている。


  フライエはドイツ語で「自由」を意味します。
キッズ・フライエ・シューレは、一人ひとりの子どもが様々な制約を打ち破り自己の可能性を全面的に実現して「発達的自由」を獲得することを援助する「学校」を意味しています。
滋賀大キッズカレッジは、欧米にあるようなLD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が今すぐにでも必要と考えています。
将来も見越して、これまでの「学習室」をキッズ・フライエ・シューレ(キッズ自由学校)と呼び、将来への夢と希望を形にしていきたいと考えました。
キッズ・フライエ・シューレのもう一つの目的は、学校で大きな困難をかかえ学校嫌いや不登校になっている子どもたちに在籍学校と連携しながら「もう一つの学校」を提供することです。


自分は行動しないで 今すぐ必要 待ったなし、と焚きつける


すなわち、彼は普通校や普通学級の教師の責任や無理解を問題にしながら、内実は、「LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が今すぐにでも必要」と考えているのである。
では、彼は親や教師たちにLD学校、ADHD学校、アスペルガー学校を作ることを提起して、なぜ学校づくりの運動をしないのだろうか。




2011年6月25日(土曜日)滋賀大学教育学部で開く予定の「発達障害の子どものことを理解しましょう 保護者のための講演会と交流会」で、窪島氏は、


「学校できちんと理解してもらえず悩んでいる子ども、保護者の方もおられます。
そこで、子どもの困難の本質をどう理解すればよいか、家庭ではどう対応すればよいか?学校にはどのように理解してもらえばいいの?等、保護者の皆さんの学習と交流のつどいです。お気軽にご参加ください。」


と普通学校の理解を強調するが、深層にあるLD学校、ADHD学校、アスペルガー学校を作ることを提起していない。

「LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校づくり」
   を提起しないのはナゼか

しかも、この交流会は、「保護者、家族、支援に関わる方など」で「一般の方はご遠慮下さい」としている。
それならなおのこと、窪島氏の本音である「LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校づくり」を提起すべきではないか。
だが、それをしないで、「学校の理解」や交流だけで事を済ませようとしているのである。

もとめられる教育発展の相互批判と創造 

 先に断っておくが、窪島氏が、今日の学校や教師に対して大学教育の専門分野から意見や批判があれば、大いに批判し、論議をして教育の発展に寄与すべきであると考える。
教師批判や学校批判をすべきではないと言っているのではない。
 教育研究から出た結果なら大いに主張すべきであり、教師たちの意見や親の苦しみをもっと聞くべきだろ主張すればいい。
だが、彼は、


教師に対しては発達障害児の困難性を言い。
親に対しては、学校や教師の理解を言う。


などの使い分けをして、必要以上に対立関係をつくり、自分たちこそがそれを解決できる専門性を有しているかのように描き出そうとしているのである。
だが、本音は、


普通校では発達障害の教育は出来ない。 
  LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が必要だ。


と告白しているのである。


これほど、親や教師や教育関係者を愚弄しているのである。

今日の学校に多くの知恵と力をあわせて考えあってこそと奈良教育大学教育学部越野和之氏は主張


  この間、滋賀大学教育学部窪島務氏の文章を読み、あまりに も多い問題点を書いてきた。
  特に彼は、戦後の日本の教育、特に1960年代末から1970年代にかけての障害児教育を踏まえた記述を「消去」している。
 この時期は、障害児教育だけでなく、日本の教育は大転換期でもあったと言える。
 窪島氏は障害児教育に取り組み、少なくない論文や文章を発表していた。
 だが、文部科学省が、特別支援教育を言い、発達障害を言い出すと、それらを「封印」してしまっている。
 1960年代末から1970年代に学齢期にいた奈良教育大学教育学部越野和之氏は、戦前、戦後の障害児教育を研究した上で、「発達障害のとらえ方と特別支援教育」のテーマで公開・発表し、今日の学校や教育について論じている。
以下、少し説明し、その一部を紹介させていただく。

忘れてはならないすべての子どもたちが教育を
 受けられなかった時代とそれが変革された時代

 戦後、憲法に書かれた「ひとしく教育を受ける権利」は、多くの障害児には無縁であった。
「学校に行きたい」
「勉強したい」
「みんなといっしょに学びたい」
 この切実なねがいも、血の涙とともに消されていた永い歴史があった。
 それを塗り替えたのは、障害児・者・その家族・教育やその周りの人々の言い尽くせない取り組みだった。
 小さなねがいが無数に集まり、運動となり、大運動となり、国民運動となっていった。そして、圧倒的な国民の要求のもとに政府は、やっと「すべての子どもたちが教育を受けられる」教育を「のむ」ようになった。
 障害児教育の保障や前進ととらえる考えもあるが、憲法に書かれた、ひとしく教育を受ける権利の第一歩が、1970年代にはじまる。
   それは、日本の教育史上画期的な出来事であった。
 障害児を排除した非人間的非人道的な教育が、障害児も包括教育の第一歩であった。

 越野氏は、そのことを充分研究した上で「発達障害のとらえ方と特別支援教育 -到達点と課題-到達点と課題-   季刊「ひろば・京都の教育」第160号2009年)で論じているが、「3 特別支援教育体制の下での発達障害認識の問題点」で次のようなことを論じている。

達成度を競わされるしくみが何重にも強められている

 以上のような状況の下で、通常学校における発達障害児への教育のとりくみは少なくない困難に直面していると見られる。
 その最大のものは、前項で述べた教育条件整備の貧困に直接起因する問題、すなわち、子どもが「困っている」ことはわかっても、そのニーズに応えるための体制がつくりきれないという困難であろう。

 こうした困難は、特別支援教育のための条件整備が不備であることに加え、たとえば専任教員の減と任期付雇用教職員の増加など、学校教育全体の教育条件が切り下げられてきていること、学力の向上と規範意識の形成といった課題が上意下達方式で学校に押しつけられ、その達成度を競わされるしくみが強められていることなどによって何重にも強められている。

子どもの事実に即して実態や課題を検討する機会が少ない

 そして、こうした状況は、発達障害のある子どもに対する子ども理解にも、看過することのできない問題を惹起しているように思われる。
 その第一は、発達障害やその周辺の困難をもつ子どもたちの課題が「障害」というカテゴリで提起されたこと(そのこと自体は誤りではないが)、特別支援教育や発達障害に関する研修はさかんであるものの、目の前の子どもの事実に即して実態や課題を検討する機会は必ずしも多くないことなどに由来して、そうした子どもたちへの対応は〈専門家〉でないとわからないという態度、子どもの実態の見立てや、時には関わり方の方針までも、〈専門家〉の判断に依存するという傾向がないかどうか、ということである。

生活の場面や発達の時期によって
「障害」の現れ方や抱える困難の実相は変化する

 目の前の子どもの示すさまざまな困難を、子どもの側に立って理解するための一つの仮説として、発達障害という視点は確かに有効である。
 しかし、たとえ障害の診断があったとしても、教科書的に示される「障害特性」のすべてが目の前の子どもにあてはまるとは限らない。
 同一の子どもであってさえ、生活の場面や発達の時期によって、「障害」の現れ方や抱える困難の実相は変化するものである。
 そして、そうした子どもの事実をとらえられるのは、毎日の教育的な働きかけの下で、その時々の子どもの姿をとらえることのできる教師をおいていないはずである。
 しかし、今日の学校現場の多忙化の下で、ていねいに子どもの事実をとらえ、吟味するための条件は奪われがちである。

「手っ取り早い方針」がまねく重大問題

 そこに「学力と規範意識」といった「課題」が上から与えられると、その「効率的」な実現にむけて手っ取り早い「方針」が欲しくなる。
 しかし、出来合いの「方針」というメガネで子どもを見ることは教育の自殺行為にほかならない。
 目の前の子どもの事実に即してていねいに考えるというスタンスが強まっているのか、弱められているのか、事実に即した吟味が必要であると思われる。

短期間でつくられる体制と子どもの個別計画

 もう一つの問題点は、右に述べた〈専門家〉のあり方に関わる。
 通常の学校内で特別支援教育の〈専門家〉という立場に立たされているのは特別支援教育コーディネーターである。
 コーディネーターには、特別支援教育の推進役として、他の教員に率先して特別支援教育や発達障害に関わる研修を受け、そこで学んだことに即して校内体制をつくり、校内研修をリードし、校内委員会等での子どもの実態把握や外部の専門家との連携を図ることなどが求められてきた。
 しかしここでも、さまざまな困難を抱える大勢の子どもたちを目の前にして、短期間の間に体制を整えることが求められたこと、個々の子どもについても各種個別計画などを短期間の間に作成することが求められることなどから、限られた知識・方法の範囲で、ともかく「方針」を、という傾向が強められているように思われる。

心理検査の活用が強く推奨され
 IQ等の数値が再び教育現場において流通

 こうした問題の一つとして、ここでは子どもの実態把握のために用いられる各種心理検査の問題について述べよう。
 この間の「発達障害」に関する官製研修等では、子どもの実態把握のためのツールとして、WISC、K-ABCなどの心理検査の活用が強く推奨されてきた。
 そうした中で、かつて子どもの発達の事実を示さない非教育的な指標として批判されたIQ等の数値が再び教育現場において流通するようにもなってきている。

 
子どもの発達が見えづらくする危険性

そこにはらまれる最大の問題は、子どもの発達の軽視ということである。
 子どもたちは、たとえばWISCの結果によって示される「個人内差」などの特性を持ちながらも、ある発達段階にいて、その段階に固有の様式をもって、外界との関係を取り結ぼうとしている存在である。
 その際の「外界との関係の取り結び方」や、その発展性を左右するものとして、「障害特性」や「個人内差」が機能するのであり、発達段階が推移すれば、「障害特性」や「個人内差」もその意味や姿を変える。
 したがって、その子どもの当面の課題を吟味する上では、発達的な視点が欠かせないのだが、今日流通している子ども把握のための方法論は、それのみを一面的に活用するならば、かえってその子どもの発達の状況を見えづらくする危険性をもはらんでいるように思われるのである。
 もちろん筆者はWISC等の心理検査のもつ意味を否定しようとするものではない。

特定の方式が唯一絶対

 それらの検査によってしか見えてこないものもあるし、検査の結果は、子どもの発達を総合的に吟味するとりくみの中に適切に位置づけられるならば、大きな有効性を発揮する。
 しかし、そうした総合的な吟味のための条件を欠いたところで、特定の方式だけが唯一絶対のものとして用いられるならば、それは本来の役割を果たすことができず、反対物に転化する。
 しかし、「効率的」な実態把握と「方針」の作成を〈専門家〉に強く求める今日の傾向は、〈専門家〉がその専門性を子どもの事実に即して発揮し、発揮する中で専門性自体をさらに発展させる条件を奪っているように思われるのである。

障害児教育から産まれた理念をすべての学校と教育に

「発達障害と特別支援教育」を見る際の、いくつかの歴史的な指標をあげた。
 しかし障害児教育全体についてみれば、もう一つの指標に触れる必要がある。
 すなわち、今年2009年は、1969年の養護学校義務制から数えて30周年の節目にあたる。
 養護学校義務制を一つの結節点とする障害児の教育権保障運動において、全国のとりくみを大きく励ました京都府立与謝の海養護学校は、その学校設立の理念の一つとして
「学校に子どもを合わせるのでなく、子どもにあった学校を」
と謳った。
 この視点に立つならば、特別支援教育の課題は、
「子どもにあった学校」の理念を、障害児学校・学級のみならず、通常の学校、通常の学級においても実現していくことにほかならない。

もとめられる多くの知恵と力

 特別支援教育の当面する課題をこのようにとらえつつ、今日の学校と教育をめぐる状況が、どのような到達点と課題を提起しているのか、事実を持ち寄り、多くの知恵と力をあわせて考えあってゆきたいものである。

 越野氏は、教師の責任だけを追求しがちな窪島氏の主張に対して、日本の住む人々へ教育の新しい方向を創造するメッセージとも受けとめられる。

滋賀大学教育学部窪島務氏の「読み」と「書き」を分離して「書き」を強調する危険な指導


 滋賀大学教育学部窪島務氏は読み書き障害と言いながら「書き」を重視する根拠もなく「欧米の研究では読み研究に比べて書きの研究が甚だしく軽視されていることを批判的に検討していくこと」としていることは、すでに明らかにした。
 ここで、特に強調しておきたいのは、窪島氏いう「読み」は、声を出して読む、ということではないようである。
 彼の書いたことをさまざま読み比べてみると、どうも小学校などの漢字などに「ひらがなをつけることが出来ている」ことをもって、「読みがは出来る」が、としているようでこれには基本的研究の誤りがある。
 声を出して読む、自分が書いたことを読む、他の人が書いたものを読むことが出来るというのではない。
 すべて彼の思い込みの「読み」であり、「子どもたちが読めている」とするが、音声として「読めている」ことを記述した部分はまったくない。


入学前から文字を知っていなければならない
     日本の異常にふれない

 日本では、小学校入学前に文字を覚えている、覚えさせているが、ヨーロッパなどでは入学から文字が書けることは、前提条件になってはいず小学校低学年では、話す、聞く、口ずさむ、歌うなどの声を出し合うことが教育上非常に重視されている。
 ゲルマン系の教育システムを古くから学んでいた窪島氏が、留学先で、民族の文化伝統風習と教育との関わりを「認知」していなかったのではないか。
 そのため「書きの研究が甚だしく軽視されている」と断定することになり、その考えで日本の教育方法を論じ、学校教育に持ち込むことは、かえって教育上の弊害を作り出すと思える。


20代の養護教諭から
 教育実践提起  
 「安心する空間」というテーマである府県の20代の養護教諭が次のように書いている。

 
私は、複数配置の高等学校で仕事をしていたことがあります。その時の取り組みを少し述べてみたいと思います。

 ある日、保健室に女生徒が保健室にやってきました。
 彼女は、なぜか自然と涙が出てしまう、イライラする、友だちと一緒に居てもその中に自分は居ない、話を聞いてもおもしろくない、友だちに話しかける気にもなれない、なにもかも嫌だ、と気弱に話しました。
 話を聞くだけでも女生徒が、今深刻な状況に陥っていると共に養護教諭に助けてほしいという声なきメッセージを送ってきていることが切々と解りました。
 その時、先輩の養護教諭が屋久杉のことが書かれた絵本を取り出し、生徒と一緒に読みだしました。


 
屋久島の自然。
澄みきってどこまでも広がる空。
やさしく包みこんで暖かくくるでくれるが、時には激しく巻き上げる風。
 
 その中で太古から屋久杉は自然のパワーをもらい大樹になり、今も生き続けている。
  少し疲れたら、空を眺めて、風を全身に受けとめ深く深呼吸する。

 そして、緑の木々から新鮮な空気をもらい、あなたもそこからパワーをもらったらいい、という先輩の養護教諭はアドバイスしていました。

 それから私は、その女生徒と「たくさんパワーがもらえるといいね」と言いながら学校近くの神社の森まで歩いて行くことになりました。
 彼女の歩みに合わせて気遣いながら、ゆっくりと時間が過ぎるようにしました。
 木々が生い茂る学校と違った空間の場所で、彼女は「私は樹になりたい。」と言って、自分も友だちに自分のパワーをみんなにあげたいと感じたようでした。

 それからの彼女の様子を注意深く見ていると、何となく気が滅入る時は、私と一緒に行った場所に行き、気分を落ち着かせ、授業に戻ることを繰り返していました。
 そのうちに彼女の明るく楽しい笑い声が彼女の友人の輪の中から聞こえてくるようになってきました。
 さまざまな角度から生徒を観察し、じっくり話を聞きながらそれぞれの生徒に合った方向と解決策を考えていく事の大切さを痛感しました。
 生徒が不安感に取り付かれたときや危険な状態にあるとき、生徒が「この先生なら安心して話せる」と養護教諭の人柄、知識と助言を求めて保健室に来室してきます。

 またその生徒との信頼関係が続くことが大切だと考えるようになりました。
 そうでないと、生徒が安心出来ないのではないでしょうか。


年間6000人以上の生徒が保健室に
 やって来る養護教育の教育実践

 「話を聞くだけでも女生徒が、今深刻な状況に陥っていると共に養護教諭に助けてほしいという声なきメッセージを送ってきていることが切々と解りました。
 その時、先輩の養護教諭が屋久杉のことが書かれた絵本を取り出し、生徒と一緒に読みだしました。」

 この、なぜ「先輩の養護教諭」が「屋久杉のことが書かれた絵本」を「生徒と一緒に読みだしました。」のか、窪島氏には理解出来ないだろうと思われる。
 直接生徒が悩んでいることに働きかけることではなく、他のことから生徒が悩んでいることに働きかける。
 それも、一緒に「こえ」を「合わせて」出し合い
ながら、「共鳴し合い」、絵本の「世界に飛び込んでいく」という取り組み。

声を出して「いまと未来の方向を考える」教育実践

 就学前に、絵本の読み聞かせは、文字移行に重大な影響を与える、とされている。
 「安心する空間」というテーマで書かれた「20代の養護教諭」と「先輩の養護教諭」は、
生徒と一緒に声を出して「読む」
ことで
「見失っている自分のねうち」
を気づかせ、一緒に「歩くこと」でさらに生徒の「あす」を教えようとしたのです。
 


 これらの教育実践上の重要な課題に窪島氏は何らふれようともしない。

 さらに、この学校は、文部科学省の特別支援教育研究指定校でありながら、これらの養護教諭の実践は、特別支援教育の対象外とされているから驚く。
 保健室に年間6000人以上来る生徒がいることに対応していることは、特別支援教育でない、とされているのである。