教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(35)
数十人、数百人という生徒たちとの教育実践は書きがたい
いつも思うのだが、教育実践を書く時、ある特定の生徒に絞り込んで書くことは、書きやすい。
ところが、数十人、数百人という生徒たちとの教育実践は書きがたい。
A君は、C君はという例でよく教育実践が書かれたり、ある特定の重複しない障害児の教育実践は書きやすいだろう。
だが、これらの教育実践を読んでいて、いつも「作り話」や「誇張」されていることが多いと感じつつ、教育実践をすすめている教師はある生徒だけにしか目が向けられていないか、実践報告をするために事前に実践報告をつくっているかのように思えてならない。
理解方法ばかりで 「いわゆる学習障害」
生徒自身の要求(needs)がえがかれていない
ある教育実践報告で1時間の授業のすべての生徒の発言を克明に書いている先生がいるが、どのように考えても授業中に録音していたとしか思えられないのは言いすぎだろうか。
なぜなら授業をしている時は、教師は必死になっているので冷静に生徒の発言を記録している「間」なんてとてもないからである。
最近の「いわゆる発達障害とする生徒」への教育実践を読むと、あまりにも詳細すぎて、他の生徒とのかかわりや、他に障害や病気を持つ子どもたちの事は注視されていないのではないかと疑問を持つことが多い。
一例をあげると「いわゆる学習障害」生徒への理解方法ばかりで、「いわゆる学習障害」生徒の要求(needs)がえがかれていないことが多すぎる。
これは、教育の目的なのだろうか。
この項では、E君のことを中心に書いているが、参加した全員の記録もある。
タクシーのライトに浮かび上がってきた生徒たちの集団
さて、金沢の集会で生徒の取り組みのことを書いたが、教師たちは、集会に参加する生徒たちのために集会担当者と集会前後にいくども話し合いを重ねて、いくつかの条件の改善をねがい出たが、当時はほとんど理解がはかどらなかった。
教師が金沢から井波へ帰る時は、最終バスはすでになく、駅からタクシーでお寺の本堂をに向かったが、お寺の近くに来ると生徒たちの集団がタクシーのライトに浮かび上がっていた。
ゆっくり、ゆっくり歩く姿を見て、夜の井波(欄間づくりなどの盛んな街)を散歩でもしているのかなあ、と思ってお寺に着いて、夜の今日の集会で学んだことの交流会を開いた。
産まれて初めて銭湯に行くことが出来ました みんなありがとう
参加した生徒は、いろいろな感じたことを立て続けに話しはじめた。
その時、E君は、半ば泣きそうな顔で笑顔を浮かべて
「今日。産まれて初めて銭湯に行くことが出来ました。みんなありがとう。」
「今までは、養護学校の時の生徒以外と一緒に風呂に入ったことはなかったし、みんなだけでなく障害のない人々が入っている大浴場に入るのは勇気がいりましたが、銭湯ののれんを潜って出た時は、何かすっきりした気持ちでした。」
生徒も教師も拍手するとE君は、照れくさそうにしながら喜んだ。
集会終了後、参加者でつくった感想・報告を山城高校の生徒に配ったが、E君は次のようにその時の気持ちを次のように書いていた。
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(34)
今の府立学校では、金沢に行って障害者問題を学びたいという生徒の要求(special needs )に応えて県外に行く新しい取り組みをするとなると膨大な書類とチエックが入り、とてもじゃないが実施できないだろう。
ましてや指導主事の自宅に泊めてくれるなんて考えることすら出来ないだろう。
校長は、生徒たちの要求と自主的努力に非常に感激して
「うまくみんなの願いが叶って、学習できたらいいな」
「そこまで聴覚障害生徒たちが考えているのか」
と、勇気づけてくれた。
このことばの背景には、事故などがあれば校長が先頭になって責任をとる、事態の解決にあたる、と言う表明であった。
生徒が、成長し、学ぶことを共有できた時代であった。
高校生が参加すると言うことすら解ってもらえなかったけれど
集会参加にあたり、集会で発言する、質問する練習とともにコミニケーション保障のことが話題になった。
金沢の障害者集会準備をしているところに問い合わせても、聴覚障害生徒の聞きたい、話したい、という要求はあまり理解されていないばかりか、高校生が参加すると言うことすら解ってもらえなかった。
生徒たちは手話がわかる生徒もいるし、口話が非常に達者な生徒もいた。また、補聴器で大集会でもスピーカーから流れる声を聞き取れる生徒もいた。
でも、聴覚障害生徒のそれぞれの状況を考えて準備し、集会に参加しようと言うことになった。
聞くためのあらゆる機器を持っていこう
その中で、筆談用の紙、発表用の模造紙はもちろん、学校の録音機器(後でもう一度学習して、聞き間違っていないか確かめるため。)なども持っていこうということになった。
一番の問題は、学校のオーダーメイドの集団補聴器だった。
重い、でかい、マイクなども含めるとかなりの重量になった。
でも生徒たちは、体力に合わせて全員が何かを持って集会に行こうと言うことになった。
あらゆるコミニケーション手段を使っての会話が、列車に溢れた
早朝の京都駅。
生徒たちは、いい服(当時山城高校に制服はなく、生徒の自由にまかされていた。)を着てやって来たが、お互いの荷物の大きさに笑い合ったりした。
体力のある生徒でも10㎏ははるかに超えていた。
列車の中では、席の譲り合いや話で盛り上がった。
身振り手振り、大声での会話。
聞こえる人にめいわくになる「シッー」と唇をあてて合図。
本当にあらゆるコミニケーション手段を使っての会話が、列車に溢れた。
一番聞きたかった
河野勝行氏の「日本の障害者-その過去・現在および未来」が
みんなにとって初めての金沢。
暑さの中を重い荷物を持って開会式場へ。
だが、1階の席は満席。
仕方なく、二階へ。
演壇は遠く見えるけれど、聞き取れる生徒は、筆談身振りや列車で身につけたコミニケーション手段で生徒同士連絡を取り合った。
だが、一番聞きたかった河野勝行氏の「日本の障害者-その過去・現在および未来」の記念講演。
重度の障害がある彼のことばは、スピーカーから流れても全員が聞き取れなかった。
介助の人の通訳はあったものの
「なんとか、河野さんの声が聞きたい」
というのが、聴覚障害生徒のねがいだった。
そして、講演の要旨のレジメを一生懸命に読みふけっていた。
みなさんにはもうしわけないのですが
それから分科会場へ。
分科会場は、学校の教室だったのでコンセントがあるはずだと思っていたのにいくら探してもコンセントがない。
集団補聴器を持ってきたのに結局無駄か、とあきらめつつ時間切れとなって分科会がはじまった。
と、E君が手を上げて
「みなさんにはもうしわけないのですが、私たちはこの集団補聴器を持ってきて……」
と説明しはじめた。
その間、教師は本部に行って話し合い、分科会場のみなさんが了解してくれるなら別の分科会場を準備する約束を取り付けていた。
E君の話を聞いた分科会の参加者は全員移動に賛成。
少し休憩して、別教室で集団補聴をセットして、発言者はマイクを持って話してくれた。
分科会が終わって、参加者からいろいろ質問があったと富山県井波への帰路は話がさいたとのことだった。
集団補聴器などの重いものは、本部が大会終了まで管理してくれると約束してくれたのもうれしい、という声が夜の本堂の交流会で続出した。
そして、本堂で就寝についた。
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(33)
基本的人権・人間の尊厳と
「自尊心」などの教育実践上の大きな違い
いわゆる「発達障害」の一部の研究者は、LD,AHHD,アスペルガーの子どもたちに自尊心を育てることが大切であると強調する。
だが、自尊心とは、「自尊の気持。特に、自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を排除しようとする心理・態度。プライド。」とされ、他人の干渉を排除しようとする心理という概念が含まれている。
これは、排除の考えであって、連帯の考えではない。
私たちは、「人権教育」とか、人権という考えを強調しなかった。
それは、憲法11条・13条の
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。
とする考えを大切にしたからである。
自分には、基本的人権が生まれながらにあるのだ。
それは、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の与えられ、個人が尊重されるのだ。
これが日本の法律の基本なんだ、とすることによって「自分」も「他の人も」基本的人権があると知り、「連帯の教育」が産まれるからである。
青年期に同じ障害者どうし
他に障害がある仲間および集団との交流と
さらに大きな集団の形成が大事であると 考えていた時に
E君たちは、そのことを具体的に私たちに教えてくれた。
私たちは、E君がお父さんを土下座させてあやまらせたことを深刻な問題として考えていた。
そして、青年期の障害者に重要なことは、同じ障害者どうし、他に障害がある仲間および集団との交流とさらに大きな集団の形成が大事であると考えた。
障害児者はいつまでも孤独ではない。
自分たちの悩みを受けとめる仲間をさがし、またつくりだしてゆく。
「同じ障害者の仲間を知ったとき、話したとき、気持がピヅタリして、初対面なのに、以前から友人であったような気がして、うちとけた」
と障害者の集まりにはじめて参加した人はたいていこう語ってくれていたことを想い出したりした。
仲間や集団は障害児者のいわば生命の源泉であり、エネルギーをひきだす母体である。
これがあるならばどんなことでも紆余曲折しながらすすんでいける。
集団の中で障害者は、大きな自己変革をとげ成長していく。
と考えた。
そんな時、驚くような問題提起が聴覚障害生徒から出されてきた。
聴覚障害に関する専門書・啓蒙書、障害児者関係の本の本棚を作り、出入りする生徒も自由に読めるように
山城高校の聴覚指導室には、聴力検査室や個別学習室と楕円形テーブルの集団ミーティングの場などが作られていたが、同時に聴覚障害に関する専門書・啓蒙書、障害児者関係の本の本棚を作り、出入りする生徒も自由に読めるようにしていた。
また、図書館にも同様に関連する本も置いてもらっていた。
え、カンパって何や
みんなに話するの
ようせんわそんなこと
ある日。
全日制・定時制の聴覚障害生徒たちから
「先生、この集会に出て学習したいけど行けないかなぁ」
と言ってきた。
河野勝行氏の(歴史研究者)「日本の障害者-その過去・現在および未来」が記念講演の全国障害者問題研究集会だった。
本棚にある資料や本を見て、このことを知って内々の相談して居たみたいであった。
場所が金沢。交通費、宿泊費、参加費。
とても、みんなが出せる費用ではない。
でも、どうしても障害児者問題を学びたいとみんなの意見が一致したという。
障害者手帳1種2級の聴覚障害生徒も多い。
健聴生徒も介護人ということで一緒に行けば交通費も半額になる。
でも、宿泊、参加費が重なるととてもとても費用がかさむ、先生、知恵を貸してくれ、と言うことであった。
本堂でみんなで寝たら良い それでよかったら
生徒みんなに君たちの気持ちを訴えてカンパをしてもらったら。
え、カンパって何や。みんなに話するの。ようせんわそんなこと。
カンパもらったお礼はどうしたら良いの。
いろいろな意見が出されたが、聴覚障害生徒同士の話し合いに任せた。
すると、健聴生徒が次々とカンパをしてくれて、一緒に集会に参加したいとの申し出があった。
聴覚障害生徒は、びっっくりして「家族の人の了承もらってから」って言ったとの報告が舞い込んだ。
でも、費用は足らなかった。
このような話を教職員で話している時、たまたま来校していたF主導主事が
「実家は富山県の井波の寺。
金沢から離れているけれど、金沢まで通えないことはない。バス、列車で帰ってきたら、本堂でみんなで寝たら良い。それでよかったら。」
と言ってくれた。
聴覚障害生徒に言うと大喜びだった。
でも、この時、E君の人生を変える大事件が起きるとは、誰も予想もさいていなかった。