2012年10月31日水曜日

今を生きる仲間として 幸せになるための答えを考え 生徒たちと行動したい


  教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
       幸せになりたいと思っている生徒たち

 学校の「校則」が教育の名の下に生徒たちの精神衛生を悪くし、学ぶべき生徒たちの自由と平等が窮屈にされているとしたら本末転倒だ。

 自分ののことがキライ。
 人が信頼できない。
 家でも学校でも自分に自信が持てない。
 だけどなんとか人のために生きることを求め。
 幸せになりたいと思っている生徒たち。


 今を生きる仲間として、幸せになるための答えを考え、行動したいと思う。
 貧困の連鎖を断ち切るための第一歩。


 生徒たちからの声に どのように一歩が踏み出せるのか

 憲法はどう教えてくれるのだろうか。
 今日も通勤の早朝、深夜の道を走りながら、生徒たちからの声に、どのように一歩が踏み出せるのか、頭をひねり続けている。         (了)


 1年生の時は、健康診断の未受診の部分があって先生と一緒にA市まで車で連れて行ってもらいました。
 その時、家の事情や悩みを聞いてもらって、受診が終わった時検診していただいた方に「菜菜は、ありがとうって言えないな」って先生から言われたんずっと覚えています。
 それからは、保健室に行く時は帰りは、「ありがとう」って言って帰ろうと決めて言い続けました。
 1年生の時は、本当に迷惑ばかりかけて、泣いてばかりしてても、笑ったやさしく話を聞いてくれた先生。本当に大きな存在です。

 これからは、どんどん大きくなって、いつものパワーでがんばるからね。先生も身体に気をつけてがんばってね。
 言葉で伝いきれへんぐらい、ありがというございました。



 昨日は何時間もありがとうございました。
 治療費のことと学校のことで嘘をついていたこと、お母さんに全部話しました。
 お母さんも分かってくれて、

 「高い治療費のことは大丈夫やし、気にしんとき。それに今、少しずつ薬も減らせるようになっているから80万円もかかれへん。」
って言ってくれました。
 私、このことで先生に嘘を言いましたよね。

 でも、いつも相談にのってくださり、支えてくださったのに裏切るようなことして本当にごめんなさい。
 もうこんなことは二度としません。約束します。本当にすみませんでした。


 お久しぶりです。
 突然なんですが、卒業して一日中仕事をするようになってから「いびき」かくようになってしまったんです。それまでは全然なかったのに。

 疲れもあるのかなぁ、と思ったけれど、疲れてない時もあるし。耳鼻科行って診てもらったけれど、もともと鼻炎で鼻悪いし、首も細いし「いびきかく体質じゃないか」って言われてん。
 どうしたら「いびき」治る?耳鼻科では、アカンの?もぉ一生いびき書きたくない。
 自分で予防できることあったら教えてー!!
 いきなり、へんなお手紙お許しください。



 3年間お世話になり、ありがとうございました。
 親も知らない子の悩み、体調を崩したことも数多く、その度に保健室の先生お世話になりましてありがとうございます。

 毎日のように保健室の先生と話したと聞いております。
 保健室という、こころのやすらぎの場所がなかった無事に卒業出来ていたかどうか。
 入学した頃は、不安でいっぱいでしたが、先生方や友だち、いろいろな経験のおかげで、こころも身体も強くなったと思っております。
 一応、人生の目標を持っているみたいなので、今までの経験を大切にして自分なりにしっかり考えて、後悔のないように進んでくれたらと望んでいます。

 本当に必要以上に保健室に通っていた子ですが、相手にしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。

 

2012年10月28日日曜日

生徒の心の冷静さを失わせた 保健室来室条件 1998年栃木県黒磯北中事件を忘れていない!!


  教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 学校全体が 安全で 健康に なっているだろうか。

  保健室から教職員に伝えたいこと。

 保健室に来て生徒と話し、生徒の声を聴いてほしいこと。
 生徒が保健室から出てくる時は、笑顔で出てきていることをとらえてほしいこと。
 保健室では、生徒が、学校のどの部屋にいても言い方ややり方は間違っていたら、駄目なことは駄目と伝えていること。
 決して、生徒の言うことをうのみにして、ウンソウネ、と肯定ばかりして、共感だけしていないこと。

 保健室は、生徒の健康の度合いを知ることだけではなく、学校全体の健康度をしり、学校全体が安全で健康になるようにしていること。
 だから、保健室が生徒であふれかえるのは、教育課題が学校にあることとして考え、教育改善の方向をあきらかにするすること。
 これらのことは、くり返し、くり返し提起をしてきた。

        保健室への来室許可条件は 必要がないはず

  保健室や養護教諭に対してよく出されることやある意味で「強要」されることがある。
 
 

それは、

「保健室への来室許可条件はないのか。熱が何度と言う基準を設ける必要がある。」

などなどのことである。
 ある学校では、ふらふらになった生徒が担任の認め印がないからと保健室へ行けず、寒い廊下で待たされる。
 生徒のたまり場になるから、と「保健室閉鎖」が行われ、意欲に燃えた養護教諭が職員室で生徒の対応をさせられる。
 「保健室を開けてください。」
と懇願しても「開けられない」のひと言ですまされ、私たちに相談があった。
 養護教諭たちでその高校を見に行くと、特別支援教育に熱心に取り組んでいる、と言われるけれど養護教諭はその輪の中に入れようとはしない。

 開かずの保健室が、どんどん増えている。

 このことで、いくら調査研究しても、保健室だけの問題としてとらえるのではなく、学校全体の安全と健康の取り組みとして問題をとらえない限り、解決しない。
 安全で健康な学校、安全で健康な生徒たち。
 安全で健康な教職員に包まれていかなければならない。
 
     保健室の来室条件規定などは
      生徒の心の冷静さを失わせる
 

 保健室の来室条件規定などの考えは、生徒の心の冷静さを失わせる。

 1998年に栃木県 黒磯北中学校で起きた産休明けの女性教諭が、生徒にバタフライナイフで刺され死亡した事件は、私たちには忘れられない事件として残っている。
 当時、京都の教職員の中では、その女性教諭の生徒への発言やバタフライナイフを学校に持ってくること、生徒が「キレル」ということが問題にされた。

 しかし、私たちは、教職員の労働安全衛生から考えてもマスコミ報道や教職員の多くの印象に問題が含まれていると考えていた。

 後日、私たちは、女性教諭が刺され死亡する前の生徒の状況を細かく知ることが出来た。

  保健室滞在許可が
 悲劇を招いた大きな要因のひとつである
   とは考えられていないが

 黒磯北中学校では、保健室滞在許可なるものが決められていて、その基準は体温だった。

 熱が保健室に行く「許可条件」に達していないとして、不登校ぎみだった生徒は、トイレで嘔吐し教室にも行けず、保健室にも行けず、休む先さえなかった。
 その時、廊下で教室に入るように教職員にうながされ、無理に教室に入れられた。
 その結果、女性教諭を殺害する事件が起きたのである。


 保健室の滞在条件、体温の基準、その尺度だけ測ることは、人間教育の場としての学校の教育力が問題になったことなのだが、殺傷という結果だけで問題が話され続けられていて、その前段階は問題にされていない。


 先生今までいろいろ本当にありがとう。
  転校した学校は、もう今日で終わりです。


 先生は、大人やのにうちがアホなこと言っても怒らへんしちゃんと話も聞いてくれるし大好き♡
 しんどくなったら、いつも話を聞いてくれてありがとう。


 もし、先生がいーひんかったら病気がもっと悪化しているやろうし、学校も中途半端にやめて、友だちにも本当のことが言えんままやったと思う。
 先生のおかげでうまくいきました。

 二年間だけやったけど保健室の先生に会えてよかった。
 この前友だちとユニバに行ってきてよかった。お土産食べてね。

 今まで本当にありがとう。

 これからもお世話かけるしよろしくね。

                                                             ( 新つづく )

 

2012年10月25日木曜日

保健室の思い出が たっっっくさん!!


  教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


  なにかが あるからやってくる

 保健室では、来室した生徒には、

「なにかが あるからやってくる」

ととらえ、まずは生徒を受け入れ、共感しながら理解しようとしている。
 生徒には、

「なーに?」
と養護教諭が眼を向けてるが、生徒自身がどうするべきかを考えられるようにしている。
 それは、共感や生徒の現状を「安心させる」「肯定」「自分を尊重」するだけでは、その場の一時しのぎになってしまうからである。
 養護教諭は、日々生徒たちと接している。
 だからこそ、「生徒自身がどうするべきかを考えられる」ことが大切と考えている。
 
 

 「どうしたの?だまって入っちゃわからない」
  「どうしたの?黙って出てっちゃわからない」

 だから、保健室の出入り口の扉には、

「どうしたの?だまって入っちゃわからない」
「どうしたの?黙って出てっちゃわからない」

の文字が背中合わせにはりつけてある。
 養護教諭になって30年がすぎた。

 生徒たちは、変わっても、保健室のあり方や、生徒理解のための教職員との共通認識の難しさと大切さは、変わらないでいる。

 保健室は、学校の中の一つの部屋ととらえられていたのは、夜間定時制勤務の時だけだった。
 つねに社会という大きな枠で生徒の課題を共有できた。
 そのため、多くの生徒の理解のためのヒントも交換できた。

 その時間も充分つくられた。
 
 生徒理解のための意見交換
   知恵を練ることが時間的に許されない

 現在の高校では、情報は多く、生徒たちをていねいに見て考える教育課題が見出されるはずである。
 だが、教職員と生徒理解のための「共有できる」ことや、意見交換して知恵を練ることが時間的に許されない。


 3年間 お世話になりました。
 ありがとー

 先生は学校の天使や♡ と私は思います。(*^o^*)
 保健室のグータラで、グラ・グラの空気が大好きでした。

 手紙が苦手なので、私の詩を贈ります。

 先生は、ほんま常に優しかったです。
 ずっと薫の味方をしてくれていてくれた。
 一年生の時も、二年生の時も泣きついたことが多く困らせたよな。
  ほんまにごめんなさい。

 でも先生がずっと話を聞いてくれて、見ていてくれたからこの通り元気になりました。!!
 最近めちゃくちゃ思うけれど、一年生の時と別人になった気がする。
 それだけよい友だちとめぐり会えました。

 いろいろ大変やったけど、もう大丈夫。
 でも、きっとアヵンくなる時は、また会いに来るから支えてくれますか!!
 お願いします。


 遅刻・早退・しんどくなって、ほぼ毎日保健室に通ったよな。
 先生の顔を見るだけで、落ち着いて、辛い時は勝手に涙出てきて甘えたり……保健室の思い出が たっっっくさん!!
 いっぱいお世話してもらって、ありがとうございました。
                                    ( 新つづく )