教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
劇的に広まったわけではなかった インテグレーション
1965年頃、京都ろう学校幼稚部が、幼稚部をでた子どもを普通学校に入れるという取り組み - いわゆるインテグレーションがはじまって、1969年に文部省の協力者会議が「インテグレーション」と言う単語が使われた。
だからと言って、インテグレーションがろう教育に劇的に広まったわけではなかった。
その後、20年後に京都聴覚障害教育研究会が、普通校に在籍している聴覚障害児数とろう学校に在籍している聴覚障害児数を調査した記録が残っているのでまず、そのことをあきらかにしておきたい。
研究会は、教師と児童福祉施設職員、民間クリニック、耳鼻科医などと一緒に調査したものであるが、普通校に在籍している聴覚障害児数を完全に網羅できていないのでその実数は、もっと多いと考えていた。
京都府下の教育機関に在籍する聴覚障害児数の比率
(1983年2月27日調査発表 1982年12月1日から12月24日の調査期間から)
ろう学校在籍 40%
普通校(難聴学級・通級制の聞こえの教室含む) 60%
小学校の場合
ろう学校在籍 32%
普通校(難聴学級・通級制の聞こえの教室含む) 68% ※
※ 68%中 京都市内難聴学級 32%
京都府下聞こえの教室 23%
その他普通学級 13%
中学校の場合
ろう学校在籍 16%
普通校(難聴学級・通級制の聞こえの教室含む) 84% ※
※ 84%中 京都市内難聴学級 48%
京都府下聞こえの教室 23%
その他普通学級 13%
高等学校の場合
ろう学校在籍 41%
高校在籍 59% ※
※ 山城高校 36%
その他公・私立高校 23%
以上のことを見てもわかるように、ろう学校を中心とした聴覚障害教育は考えられない教育状況が京都の聴覚障害教育であった。

すなわち、京都全体の教育の中で聴覚障害教育を考えないと聴覚障害生徒たちの教育は、放置された状況になっていたのである。
そのため京都の聴覚障害教育を考える教師たちは。聴覚障害教育を包括的に捉え、普通教育と聴覚障害教育を分離して考えていなかったのである。
ようは、ろう学校や普通校に在籍していようといまいが、京都全体の学校教育を前提に聴覚障害という教育問題に取り組んでいたのである。
その点では、ろう学校以外は学部によるが京都における聴覚障害教育の概要はつかんでいたと共に、それぞれの分野で教師間の交流がすすんでいた。
聴覚障害生徒の教育と発達過程が知り得た
そのため、どこの学校に在籍していようが、例えば、聴覚障害生徒のAさんの幼児から青年期、成人期にかけての教育を知り得たと同時にそれぞれの教師が、本人や保護者の意見と共にどのような教育形態が、Aさんにとって必要であるかということが考えられた。
だからといって、教師の意見や考えとちがうからと決して強要はしなかった。
「ろう学校にUターン」の原因
高等学校段階になると、ろう学校在籍率は小学校、中学校と比べて高くなったためろう学校の一部では、
「ろう学校にUターン」(戻ってくる)
生徒が増え、ろう学校の存在意義を生徒、保護者が再認識したからだとする意見が出されていた。
しかし、高等学校は義務教育ではない入学選抜(入試)という制度があった。そのため、表面上は聴覚障害だからと言うことを出すことなく高校入学を「拒否」できたのである。
全国的に高等学校の障害生徒の受け入れが
広がるだろうという見通しが
山城高校で聴覚障害生徒の受け入れ制度が打ち出された時、全国的に高等学校の障害生徒を受け入れ、高校における教育制度が変わり、国庫補助が支給されるだろうという見通しがあった。
しかし、大学における障害者の受け入れ制度が急速に進む中で、高等学校の障害生徒受け入れ制度は放置された状況に置かれたままだった。
そのため、山城高校では府政の変化にともない、聴覚障害生徒を受け入れる教育制度は、一層困難に直面することになる。
ここで承知ねがいたいのは、聴覚障害と言っても聴覚障害になった原因やそのたさまざまな要因があり、たんなる聴覚障害だけでない、ということである。
千差万別があるってこと
前述の「今の私はありえなかっただろう山城定時制の4年間がなかったら」で聴覚障害が書いている
「でも、どういう風に聞こえない。難聴でも千差万別があるってことわかってくれなかった。」
は、聴覚障害教育担当教師自身のジレンマでもあった。
Esperanza
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