教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
すべての文章がマイナス
僕は、頑張りました。だめでした。
一年生の時は、難聴生徒にいじめられ、嫌がらせを受けました。
二年生になると僕が嫌がらせをしました。
長期交流でもいじめを受けました。
僕は、友人が出来なかった。
すべての文章がマイナスで完結している。
自分の表現が不足している
どのように頑張ったのか。
一年生の時、どのようないじめや嫌がらせを受けたのか。
二年生になると、なぜいじめられた自分がいじめるようになったのか。
健聴生徒の教室で、どのようないじめを受けたのか。
友人が出来なかったのは、なぜか。
どうして、なぜ、だめなことばかりだったのか。
それなら苦しくて、苦しくてたまらなかったはずだ。
自分自身にも問題はなかったのか、聴覚障害生徒も健聴生徒もそのような意見を出してきたが、そういう自分も、いじめられた、楽しかった、イヤだった。
としか書いていない。
自分の表現が不足している、と気がつき始めた。
その時の様子をゼスチャーで現してみたら
この生徒同士のやりとりは、その後非常に大きな教訓を残すことになる。
その時、教師から提案した。
だめだった、苦しかった、いじめられたなどの様子をゼスチャーで現してみたらと。
するとこれ以上書けないと行っていた、聴覚障害生徒がうなずいて、身振り手振りで、
一年生の時、どのようないじめや嫌がらせを受けたのか。
二年生になると、なぜいじめられた自分がいじめるようになったのか。
健聴生徒の教室で、どのようないじめを受けたのか。
を必死になって演じた。
自分と他の聴覚障害生徒。
自分と健聴生徒たち。
自分がイヤだったことを。
すると、話合いをしていた健聴生徒も聴覚障害生徒が大笑いしはじめた。
まじめに演じていた聴覚障害生徒は、ものすごく怒り出し部屋を飛び出して行ってしまった。
健聴生徒も聴覚障害生徒も大笑いしたわけ
みんなが追いかけて部屋に戻ってくるのに数時間かかったが、聴覚障害生徒の怒りは収まらなかった。
しばらくして、全員が、同じいじめや嫌がらせを受けていた。
いつも黙っている「アンタ」は、そんなことはないのか、と思い込んでいたけれど、そうでないことが解った「共感の笑い」だった。
「アンタもそうだったんや……」
と思うと哀しさよりも
「アンタも同じやったんや」
と分かって笑ってしまったゴメンなあ、と説明した。
ゼスチャー・身振り手振りがお互いの理解を深め共感関係が広がりはじめたのである。
理解し合った生徒たちは、文章でどのように表現したらいいのか、辞書などを引いたり、意見交換して学び合っていった。
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