教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
成人のろうあ者のかたがたに見てもらわないと
手話を学んだことが自己満足になる
手話部の生徒と聴覚障害生徒たちと話合って、
① 手話を学んで手話表現して学校の生徒だけに、手話発表するだけでなく大人の人に見てもらおう。特に成人のろうあ者のかたがたに見てもらわないと手話を学んだことが自己満足になる。
② 参加は自由。テーマは自由にする。
③ ただ審査員をつくって、評価をしてほしい。
表彰されるのもいい。
表彰で、友人あん形が壊れることはない。
何がどのようによかったのか、いけないところはどこか、ハッキリしたほうが自分のためになる。
④ 山城高校手話発表会など名前は、考えていこう。
と言うことになった。
突然「弁論大会」と
言った校長
会場が視聴覚教室で階段机になっていること。
そのため見に来ていただいたかたは、上を見るのじゃなく下を見てどの場所からも見やすい。
その会場を日曜日に借りるように校長先生に頼んでほしい、と言うことになった。
そこで、校長と会って話をした。
概要を理解した校長は、突然「弁論大会」と言うことにしたらと言い出した。
「べっにー」「なんにもー」から自分の意見を持てるように
「弁論?」、予測もしない言葉に驚いた。
校長の話によると最近の高校生は、自分の意見を持たない。何か聞くと「べっにー」とか「なんにもー」とか言う。
それじゃ、「これでどうか」と言うと「べつにー」と自分の意見をまったく言わない。
それで家に帰って「校長先生が、これこれするように言われた。」と言って、校長が生徒に「強要」したようになって保護者が府教委に電話する。府教委から電話がかかってくるなどのことがあまりにも多すぎる。
自分の意見をしっかり持つ、と言ってもすぐには無理だから一方的に人の前で意見を述べるだけではなく、参加者や会場から論じ合う、そういうことが出来ないか、という意味の話の内容だった。
飛びついてきた「弁論」
「弁論」。
はたして、そんなことが出来るのだろうか、と思いつつ生徒に聞いてみると
「弁論」という言葉に飛びついてきた。
健聴生徒が、聴覚障害生徒を理解する。
聴覚障害生徒が健聴生徒を理解する。
これは、一方通行の話だけで出来ないことだ。
今まで、なんども「くい違い」「すれ違い」があったけれど、お互いが「知らんぷり」している間は、理解し合えなかった。
だから、違う意見が出てもいい。
会場に来られた人の意見も聞いて、みんなで考えたい。
生徒たちは口々にそう言った。
「山城高校手話弁論大会」という名称で一致したが、そのための多くの困難があることを健聴生徒も聴覚障害生徒も予測していなかった。
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