教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
お互いよそよそしい関係
話し合いは、親の家で行われた。
話し合いの時間がかかるので、親は、聴覚障害の子を連れて集まっていた。
ろう学校幼稚部の先生は、親の話に参加する一方で手分けをして子どもたちと時間を過ごすようにした。
ところが、ろう学校にいた頃は、子どもたちはまとまって遊んでいたのに、それぞれ違った小学校に入ったことでお互いよそよそしい関係になって、話し合うこともしなかった。
幼稚部の子どもたちは自分たち同士で遊ぶ。
普通小学校に行った子どもたちは、幼稚部時代と違ってまったく知らんぷり。
めいめいが、自分だけの世界に入り込んでいるようだった。特に親しかった子ども同士でも。
幼稚部の先生たちは、まずそのことに驚いた。
花いちもんめ が知らせてくれた
子どもたちは、賛成したが、
「か~ってうれしいはないちもんめ」
「まけ~てくやしいはないちもんめ」。
「あの子が欲しい」
「 あの子じゃわからん」
はじめのうちは歌はそろわない。
あの子が欲しい、とこの子が欲しいと、言うことがなかなか出来なかった。
自分の気持ちを相手に伝える
相手の気持ちを受けとめる
ようするに子たちは、自分の気持ちを相手に伝える、相手の気持ちを受けとめることができなかったのである。
粘り強く「はないちもんめ」を繰り返していくと、次第に子どもたちの声がそろい、歌と足拍手、が合うようになり、子どもたちの喜びの輪が広がっていった。
さらに「イスとり遊び」「壁新聞づくり」などをする中で、聴覚障害の子どもたち同士の思いやりや助け合いが生まれだしてきた。
そして、そういう取り組みをするために中心になって聴覚障害の子どもたちに呼びかけ、遊びの輪の中に入れるようにする子どもも出て来た。
いつしか、各学校にバラバラに通っていた聴覚障害の子どもたちが、1週間に一度集まり、話したり、遊んだりするようになって行った。
どうしても必要 聴覚障害児の子どもたち同士の友だち
この取り組みに参加していたろう学校幼稚部の先生の中から、聴覚障害の子どもたちは、ひとりぼっち、では自分の気持ちを出すことはできないばかりか相手の気持ちを受けとめられなくなってしまうことに気がついた。
さらに、聴覚障害の子どもたちには、健聴児の子どもたちの友だちも必要だが、聴覚障害児の子どもたち同士の友だちがどうしても必要だ、と確信するようになっていった。
( つづく )
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