( 早期教育・インテグレーション・言語指導への教師・親の反論 4 )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
経済的困窮がますますひどくなったが……
ろう学校幼稚部の教育は、親の付き添いが絶対条件であった。
経済的に困難を抱えている家庭では、両親が働いていてもどちらか一方が辞めざるを得なかった。
そのためますます経済的困難にさらに経済的困難が追い打ちをかけたが、子どもたちのためにと必死になって生活してきた。
小学校に入ると、なんとか時間がとれるのではないかと考えていた。
でも、ろう学校幼稚部の先生のアフターがなくなるとどうなるのか、幼稚部の親も普通小学校に入学していた親も途方にくれる。
困ったらいつでもというねがいが……
困ったらいつでも相談できるところがほしい。
そういう教育相談所設置願いを望むようになっていった。
ところが、強固に京都市教育委員会から「設置ができない」と言われた。
考えあぐねたあげく親の中から京都府下で行われている通級制の難聴学級(聴力の制限はなかった。)を作ってほしい、聞こえの教室を作って欲しい、と要求するようになっていった。
くり返し、くり返し話し合う中で
それでも京都市教育委員会は、話し合ってもかたくなに通級制の難聴学級の設置を受け入れなかった。
聴覚障害児の親の中で何度も何度も話し合いが繰り返されてきた。
その話し合いの中で、
普通小学校通っていると、発語がだんだん崩れてくる。
発音指導なんとか京都市教育委員会のとしてやってもらいたい。
でも、発音指導だけ子どもたちに保障してやればいいのだろうか。
大きな集団の中に入れてやったことが、聴覚障害児にとって、良い言語環境と なっていると言い切れるだろうか。
大きい集団に入って、健聴児の友だちが出来たら、聴覚障害児の友だちはもう いらないということになるのだろうか。
何が一番大切で必要なことなのだろうか
そのことが忘れられているのでは
先生や友だちの話の20%ぐらいしか判読出来ないのに教科学習について行けていると言えるだろうか。
ついていけない教科は、家庭で親がしたり、家庭教師を頼んだりしているのだが、それで良いのだろうか。
受け入れ体制が充分でない場合は、子どもは学校の中やクラスの中にきちんと学校生活が出来ているとは言えないのではないか。
などなどの反芻した意見が聴覚障害児の親の中から出され、討論し合う中で本当に聴覚障害の自分の子どもにとって何が一番大切で必要なことなのだろうか、そのことが忘れられているのではないか、という話になっていった。
子どもの眼に投影された 親の話し合いや行動が
これらの話し合いは、聴覚障害児の親の家に集まって話し合われた。
話し合いが夜遅くまでされ、ときには明け方4時ごろになることもしばしばあった。
しかし、話し合えば話し合おうほど聴覚障害児の親の団結は強まり、さらに他の親の中に話が広がった。
この親の取り組みは、その後の子どもたちや教師たちに大きな影響を与えた。
真剣に自分のことを考えてくれている親。考えるだけでなく行動する親。
聴覚障害児の子どもたちにも教師たちにもその姿が、次第に「見える存在」として映し出されていった。
( つづく )
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