2012年5月4日金曜日

哀しき対立とろう教育


Once upon a time 1969

  A鉄工所問題で守る会を作ってろうあ者の権利を守ろうとする反面、ろう学校の教師が水面下で会社とも相談し、ろうあ者の家族とも連絡を取っていた。
 そして、会社の望む第二組合にろうあ者を参加するように家族から説得するようにしていた。


先生は、ろう学校を卒業した生徒が
    30歳や40歳になっても子どもとみている

 この事実をろう学校高等部の進路担当の教師に聞いた。

 「あたりまえのことだ」
と言う。
 「それなら、なぜ当事者のろうあ者に先生から直接言わないのか」
と問うと
「一番心配しているのは親御さんだから」
と言う。

「なにを言っているの、3人のろうあ者はとっくに成人。結婚もし、独立もしているではないの。本人にこそ知らせるべきだ。」
「君にはわからないだろう。ろうの子どもを持った親はいつまでも子どものことが心配なのだ。その親に言って、なぜ、ダメなんだ。」
「先生は、ろう学校を卒業して30歳や40歳になっても大人としてみないで、子ども、いつまでも生徒としてみているはないか。学校を卒業して成人になったら、成人だ。なぜ、子ども扱いをするのだ」

激しい言い合いになった。

     ろう学校でろうの子どもを教えたこともないのに

 この場合、いつも悔しい思いをした。
「きみは、ろうの生徒を教えたことがあるのか。」
「ないだろう。ないのにいろいろ言う。そして批判する。君みたいな理想論や原則論では、ろう教育は出来ない。そんな簡単なものではない。」

という教えた経験のない人間が、ろう教育のことをとやかく言うなという「厚い壁」を必ず出してきた。
 今、全国の手話通訳者がよくよく知っている著名な先生もまったく同じことを言った。


 こんなひどい環境の中で
    働かされていると思ったことはないですか

 さらに、

「だいたい、君はろう学校の卒業生が就職するのがどんなに大変か知っているか。募集なんかない。」

「ひとつひとつの会社を回って頭を下げて、雇ってもらったのや」

「職場開拓って言うけど、どれほど大変やったか。断られ、断られしても頼んで頼んで就職させてもらったんや。」
「それがなかったら、今頃みんな生活できてないわ」
「進路保障は、教育の総和だから……」

「先生たちは、卒業した生徒たちの職場で働くように、と言われたら働きますか。


 よくいい職場と言うけれど、こんなひどい環境の中で働かされていると思ったことはないですか。
 私は、多くの職場を回ったけれど、どれ一つとして、いい環境で働いているろう学校を卒業した生徒を見たことがありません。
 どこが典型的にいい職場か紹介してくださいよ。」

「君はそんなことばかりいうけれど、働かせてもらえるだけでもありがたいと思わないと、どこも雇ってくれないよ。
 理屈だね。君の言うのは」

「進路保障は教育の総和ってきれいな言葉で言っているけれど、妥協の妥協の中の就職じゃないですか。
 もっと、働く者に保障されている権利も教えないと行けないのじゃないですか」

「権利、そんなことを言っていたら就職先なんか見つからない。考えが、甘い甘い。」


    ろう教育の発展を妨げている考えの底流

 話をすれば、するほど歯ぎしりする怒りが出てきたのが当時の状況だった。
 正直に書いて、このことは長く京都のろう学校の底流にあったと考えている。

 

  教えたこともないのに言うのは簡単。
 職場開拓はだれがしてきたのか。
 ろうあ者が働ける職場を広げてきたのは教師たちだ。

 何度言われたことであろうか。
 だが、就職、転職を職業安定所が積極的に取り組みはじめたり、ろう学校だけだった就職斡旋が大きく変わっていったのが、1969年前後だった。

 けれど、教えたこともないのに批判や言うのは簡単、と言う言い方は変わることがなかった。
 

 このことがいかにろう教育の発展を妨げている考えであるのかを徐々に知って行くことになる。


同情をもとめるか 労働者の権利を守るか 迷いつつも


Once upon a time 1969

 A鉄工所問題をめぐって、私たちは、関係する労働組合に意見を聞いて回った。
 あれだけのエネルギーがどこから出たのか。
  真剣に学び続け、ろうあ者と手話通訳者がお互いの意見をぶつけ合う時間。
 このことをあえて書くのは、今日でも、新しい事態が生じた時、ともに主権者として障害者と一緒に学び、行動することが大切だ、と思うからである。


 いや、今日は、もっともっと学び、行動し、意見を出し合うことが1969年の頃よりも必要になっているのではないかと思う。

  ろうあ者というより
 労働者としてのろうあ者にウエイトをおいているが

 私たちが京都総評(当時)のA鉄工所問題の担当者と話した時、次のような事を言われた。
  担当者はろうあ者の解雇問題に数多く取り組んだだけに深刻な顔をしながら

「私たちは、ひちりの労働者が不当な首切りにあった、として闘いをすすめている。
 もちろんその労働者がろうあ者であることはそのとおりなのだが、どちらかと言えば、労働組合員として労働者という面にウエイトを置いている。
 しかし、ろう学校の先生がたは、ろうあ者であるために首を切られたので、ろうあ者問題である。
 一般的な労働問題として考えてもらっては困ると主張してくる 」


と切々と話された。

       ろうあ者も手話通訳者も知らないところでろう学校の先生は

 話し合いの中で、解ったことは、ろう学校の先生たちの中に

 聞こえないろうあ者が首を切られた、と強調すれば、聞こえる人々の支持も多くなり、職場復帰も可能になるという考えがある

ということであった。
 考えて見れば、「働くろうあ者を守る会」の中でも、ろうあ者であると言うことを理由にして同情を求めて行けばいいという考えもあった。
 でも、このことでたとえ職場に戻れたとしても、なにか大切なものを失っていくのでではないか。
 という意見が出ても、直面する生活を考えると、ともかくもとのように働けることが第一順位だったことは間違いがなかった。
 私たちの中では、充分整理できてはいなかった。

  ろう学校の生徒が卒業した時に
    就職できなくなると困るとろう学校の先生

 京都総評(当時)のA鉄工所問題の担当者と話した時、私たちは次のような事実を知った。

 A鉄工所のろうあ者のことはあまりとりあげてくれるな、ろう学校の進路先が狭くなる。ましてや、労働組合に入って争議するようなことがあれば、ろう学校の卒業生を受け入れてくれる企業がなくなる。
 何とかふせてくれ、と言うことを京都総評(当時)の担当者のところに直接言いに来ていたこと。

 また、担当者にA鉄工所で働くろうあ者の親と頻繁に連絡を取り、会社に逆らうようなことをしてはいけない(第二組合に行くようにしたほうがいい)。
 A鉄工所での争議に加わると、今後、ろう学校の生徒が就職できなくなる。


 ということをはなし、行動しているとのことだった。


 ろうあ者本人はもちろん、援助していたろうあ者や手話通訳者にとっては驚くようなはなしであった。

 だが、それ以上にろう学校の先生たちが動いていることを知って、みんなの怒りは頂点に達した。










 

2012年5月2日水曜日

働く者たちのこころのコミニケーション


Once upon a time 1969

  A鉄工所の争議問題は、Dさんの悩みや迷いはDさんがろうあ者であったために生じたと言うより、Dさんが労働争議の激しい闘いの渦の中で悩み・迷ったということであると「働くろうあ者を守る会」では考えた。

 
    自分で判断できる聞こえの保障を


 だれしも、労働争議に巻き込まれると悩み迷うものである。

 生きる。

 そのためには、だましも、裏切りも渦巻いて行く。
 その時に、ろうあ者も主体的に判断できる「聞こえの保障」(ろうあ者のための単なる情報保障ではない。聞きたい、知りたい、理解したい、その上で自分なりの判断が出来るという保障。)が必要だと考えた。

学ぶ必要を感じた  ろうあ者も手話通訳者も
  労働者の権利や安全、いのちと健康を守ることを

 「働くろうあ者を守る会」では、労働組合が聞こえないろうあ者の問題を全面的にとりあげるべきだとか。
 Dさんの問題は、労働組合の闘いや労働運動とは別だととか。
 そういう意見もあったが、むしろろうあ者も手話通訳者も、もっと労働者の権利や安全、いのちと健康を守ること、などなど労働運動が蓄積してきた経験を謙虚に学ばなければならないと切実に感じた。

 あまりにも、労働者の権利やいのちと健康を守ることについて知らなすぎたからである。

働くろうあ者の問題は、労働運動の中で

 だから、働くろうあ者の問題は、ろうあ者問題だけでは解決できない、労働運動の中でこそ解決できるのだと考えた。

  ろうあ者問題だけを別個に論じ、問題にするのではなく、それぞれぞれ関係する団体や人々と粘りに粘って協力出来る関係をつくる。
 その広がりの中でろうあ者問題もひとつひとつ解決される。


 ろうあ者側から自分たちだけの理解を強調しても、では、理解を求めている側の人々のことを理解しているのか、と自問すれば必ずしもそうでないことがある。
 現在は、露骨にろうあ者のことを偏見の眼で見て話をする人は少なくなったとも言える。
 だが、本音はどうだろうか。

 口先だけの理解は数え切れないが、最も聞こえないということの基本的問題では理解されていると言えるだろうか。

     手話はオールマイティーではない  多くの限界もある

 A鉄工所問題を今説明すると、即返ってくるのは
「労働組合の人が手話を覚えてくれれば」「ろうあ者の情報保障を考えてくれればいい」
という返事がしばしば返ってくる。
 では、どのような手話通訳をするのか?
 具体的にA鉄工所で起きた具体例で手話通訳をしてみてほしい。
と言うとほとんどの人が手話通訳出来ない。


 手話通訳出来ない、と言うのも自分のプライドが許さないのだろうか、だだなにもしないでいるだけである。
 

手話はオールマイティーではない。
 多くの限界もあるコミニケーション方法だと理解出来ていない人があまりも多いように思える。

           働く者同士だから、通じ合うコミニケーション

 思えばA鉄工所問題も労働組合の人たちが手話を覚えてくれたら、とは守る会の全員が思わなかったのはなぜか、と今頃思う。
 それは、手話が出来て通じたらいいと言うよりももっと深いところでみんなが考えていたからではないかと思う。

 同じ職場で働く人同士には、その人たちだけが通じ合うこころのコミニケーションがある。

 オハヨウ という言葉が聞こえなくても手をあげるだけで、夕べみんなと呑んだ心意気が通じる。
 
 働く者同士だから、通じ合うコミニケーションに守る会の全員が気づき、それを大事にしようとしていたのではないか、と思う。

 
 このことは、ろうあ者問題だけではないと思える。