Once upon a time 1969
A鉄工所問題で守る会を作ってろうあ者の権利を守ろうとする反面、ろう学校の教師が水面下で会社とも相談し、ろうあ者の家族とも連絡を取っていた。
そして、会社の望む第二組合にろうあ者を参加するように家族から説得するようにしていた。
先生は、ろう学校を卒業した生徒が
30歳や40歳になっても子どもとみている
この事実をろう学校高等部の進路担当の教師に聞いた。
「あたりまえのことだ」
と言う。
「それなら、なぜ当事者のろうあ者に先生から直接言わないのか」
と問うと
「一番心配しているのは親御さんだから」
と言う。
「なにを言っているの、3人のろうあ者はとっくに成人。結婚もし、独立もしているではないの。本人にこそ知らせるべきだ。」
「君にはわからないだろう。ろうの子どもを持った親はいつまでも子どものことが心配なのだ。その親に言って、なぜ、ダメなんだ。」
「先生は、ろう学校を卒業して30歳や40歳になっても大人としてみないで、子ども、いつまでも生徒としてみているはないか。学校を卒業して成人になったら、成人だ。なぜ、子ども扱いをするのだ」
激しい言い合いになった。
ろう学校でろうの子どもを教えたこともないのに
この場合、いつも悔しい思いをした。
「きみは、ろうの生徒を教えたことがあるのか。」
「ないだろう。ないのにいろいろ言う。そして批判する。君みたいな理想論や原則論では、ろう教育は出来ない。そんな簡単なものではない。」
という教えた経験のない人間が、ろう教育のことをとやかく言うなという「厚い壁」を必ず出してきた。
今、全国の手話通訳者がよくよく知っている著名な先生もまったく同じことを言った。
こんなひどい環境の中で
働かされていると思ったことはないですか
さらに、
「だいたい、君はろう学校の卒業生が就職するのがどんなに大変か知っているか。募集なんかない。」
「ひとつひとつの会社を回って頭を下げて、雇ってもらったのや」
「職場開拓って言うけど、どれほど大変やったか。断られ、断られしても頼んで頼んで就職させてもらったんや。」
「それがなかったら、今頃みんな生活できてないわ」
「進路保障は、教育の総和だから……」
「先生たちは、卒業した生徒たちの職場で働くように、と言われたら働きますか。
よくいい職場と言うけれど、こんなひどい環境の中で働かされていると思ったことはないですか。
私は、多くの職場を回ったけれど、どれ一つとして、いい環境で働いているろう学校を卒業した生徒を見たことがありません。
どこが典型的にいい職場か紹介してくださいよ。」
「君はそんなことばかりいうけれど、働かせてもらえるだけでもありがたいと思わないと、どこも雇ってくれないよ。
理屈だね。君の言うのは」
「進路保障は教育の総和ってきれいな言葉で言っているけれど、妥協の妥協の中の就職じゃないですか。
もっと、働く者に保障されている権利も教えないと行けないのじゃないですか」
「権利、そんなことを言っていたら就職先なんか見つからない。考えが、甘い甘い。」
ろう教育の発展を妨げている考えの底流
話をすれば、するほど歯ぎしりする怒りが出てきたのが当時の状況だった。
正直に書いて、このことは長く京都のろう学校の底流にあったと考えている。
教えたこともないのに言うのは簡単。
職場開拓はだれがしてきたのか。
ろうあ者が働ける職場を広げてきたのは教師たちだ。
何度言われたことであろうか。
だが、就職、転職を職業安定所が積極的に取り組みはじめたり、ろう学校だけだった就職斡旋が大きく変わっていったのが、1969年前後だった。
けれど、教えたこともないのに批判や言うのは簡単、と言う言い方は変わることがなかった。
このことがいかにろう教育の発展を妨げている考えであるのかを徐々に知って行くことになる。
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