2013年7月31日水曜日

涙を流して放ったろう学校分会長のことば 教職員の亀裂 そして新しい輪の形成        ろう学校授業拒否事件生徒たちの意見(5)

 


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


   ろうあ協会は
 ろう学校生徒の真の要求が理解出来ていなかったが

   京都府ろうあ協会編の「授業拒否 ー3.3声明に関する資料」には、「授業拒否」について事件前後の高等部生徒の日記が掲載されている。

 だが、この日記の小見出しが「写生会拒否事件」と書かれているように「資料」が出された段階でもろうあ協会としての本質と全容が把握されていないことがうかがえる。
 この資料から現在判明していることと本質に迫る問題点を提起しておきたい。


  一生懸命読む先生たちの姿に感動した生徒会長

 生徒会長の日記にこのような記述がある。

「朝七時から登校してガリ版の印刷をし、印刷のにおいも真新しいプリントを八時頃から次々と登校される先生方に直接手渡し、一読下さるようお願いする。
 私達と今まで何の関係も先生方が、一生懸命読んで下さる姿を見た時、今までの疲れも一ぺんにふきとぶほどよい気持ちだった。
 私達は写生会を確かに放棄した。しかし、それは学校を休んだのと意味が違う。」


 たしかに生徒会のプリントは、ろう学校の教職員に衝撃を与えた。

 よくぞここまで生徒たちがまとまって意見をだし、表現した。
 しかも要求していることは正当で教育の根本のあり方を提起している。
 今まで以上にもっと真剣に誠意を持って教育実践をすすめなければならない、と昨日のことのように覚えているとある高齢な元ろう学校の先生が証言している。
 

 だが、その先生の意見は圧倒的に少数だった。

  教職員の対立と本音の激論


 生徒が教師をビラでひはんするとはなのごとだ。
 馬鹿な生徒を教える苦労を彼らは解っていない。
 でたらめなことばかりいっているではないか。
 生徒の主張を聞いているとますます彼らを甘やかすことになる。

 教職員の意見はろう学校内で渦巻いた。
 ろう学校の教職員は、京都府立高等学校教職員組合ろう学校分会(ろう分会)に入っていた。
 そのため、ろう分会では、高等部の生徒のビラや主張行動をめぐってケンケンがくがくの論議が繰り返された。


   生徒の立場に立つのか、教職員の立場に立つのか、
     と分会長を攻め抜く

 すでに、述べたようにろう学校中学部の教師は、高等部生徒のビラに一部課題はあるものの全面的に受けとめながら考えるべきことだという意見を出した。
 これに対して

「組合というものは、教職員の立場に立つべきだろう。なのに、そうではないではないか。」

「ろう学校の施設設備・教職員定数の改善など毎回京都府議会に請願を出し続けている。教職員の権利や労働条件を守り発展させることと生徒のよりよき教育を受けたい、というねがいは対立するものではない。」  

「そんなことを言って生徒の立場に立ちすぎだ。教職員の立場はどうなのだ。」

「先生を首にせよと生徒は言っているのに分会は黙っているのか。」

「それは、生徒会自身がゆきすぎたあやまりだったと訂正している。」

「そんなことを言わすこと自体が生徒を甘やかしているのだ。」

「社会に出て、そんなことが通じないことを教えてやるべきではないか。」

 等々の意見の末に、

「分会は、生徒の立場に立つのか、教職員の立場に立つのか、どちらかだ。どっちなんだ。」

ということだけになり当時分会長(中学部)だったM先生に二者択一だけを迫る意見だけが集中した。

  涙を流しながら発言した分会長 へ分裂と攻撃の嵐

「あれは、忘れもしない夜の11時頃だった。
 M先生は、涙を流しながら
 『分会は、教職員を守るのと同時に生徒を守る分会。そういう分会になってほしいし、そういう分会にならないと……』
とあとは涙声だけで充分聞き取れないほどだった。 

 従来あったろう学校の『悪しき伝統』を無くしていこうという心からの叫びであったように思える。」 
 結果的に数名の教職員が脱退。

 それ以降、内容如何に関わらずことごとく分会を批判し、組合員の脱退を工作して、ろう分会は、分裂状況に直面する。

 しかし、もっといい教育やいい学校環境をつくるための取り組みは、休むことがなかった。

  学習会を繰り返す先頭に立ったろう学校教員

 ろう分会では、他の障害者団体やさまざまな学習会に参加していたが、もっと広く子どもたちの発達と教育、障害児者やその家族・関係者がともに学習しなければ、ろう教育も京都の障害児教育の発展もない、という考えに至っていた。

 そして、京都大学医学部病院前にあった修学旅行生用の旅館の一室を借り、少人数から初めて学習会を繰り返していた。

 そして、全国にもそのことを発信していたが、全国障害者問題研究会が結成されることに連帯して、全国組織が出来る前に京都支部を結成した。

  「夜明け前」の機関誌に籠められた涙
 

 その支部長にろう学校のM先生がなった。

 そのときの涙は、分会会議で流した涙ではなかった。

 京都の障害児者の取り組みを発表する機関誌が出され、「障害種別」を超えた取り組みが多くの人々が知ることになった。


 その機関誌の名前は、「夜明け」と名付けられた。
                                                                      ( つづく )

 

2013年7月29日月曜日

どうしても出来ないという苦しみ 不安 ろう学校生徒の気持ち ろう学校授業拒否事件生徒たちの意見(4)


 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
  先生たちは 私達から逃げているのでは

  先生達さえ、口話法から ー いや私達ろうあ者から逃げていらっしゃるのではありませんか。
 これはろうあ者への重大な差別以外の何ものでもありません。

 私遠は、口話法で話しをしたい。

   どうしても出来ないという苦しみ

 しかしどうしても出来ないという苦しみを常にもっています。

 
 校長先生は、このような私達の不安や苦しみを、ただの一度でもお考え下さったことがあるでしょうか。

 先生方がどんな理由でこの学校へ来られたかは知りませんが。
 文部省の方針だから、校長先生が言われたからというだけで、私達とは問答無用だといったお考えの人がおられますし私達へ差別的な無理解な発言を平気でなさる先生もあります。

  手話が出来る出来ないで
      先生を いい 悪い とは言ってない

 私達は先生を

 「あの先生は手話ができるからよい先生だ」

とか

「あの先生は手話が出来ないからわるい先生だ」とか

 ー そんなことをいっているのではありません。

 ろう教育に対する、又私達に対する誠実さと、理解及認識の深浅を問題にしているのです。

 このことに関し校長先生を含めた先生方の反省を求め、手話及び口話に関する
明確な回答を望みます。


   後輩に このような苦しみを味わわせたくない

 補記、私達と先生方との話し合いは通訳の先生がないと出来ません。
 私達はこのような現状を悲しみます。

 こういうことをなくすため、私達は立ち上ったのです。
 私達の後輩には、このような苦しみを味わわせたくないのです。

 これは生徒会会員全部の一致した意見です。

昭和40年11月19日
京都府立聾学校高等部生徒会

  京都府ろうあ協会編集人のコメント

 以上が写生会拒否事件をめぐって生徒会が全校の教師及び登校してくる父兄を対象に配布したビラの全文であり、われわれはこの内容が、もっとも正しく事件の真相に触れていると確信している。
 しかし、もう少し事件の背暴を明らかにしておく必要があると思うので、当時の生徒会役員で、現本協会会員である2、3の人物に登場してもらうことにする。
 いずれも事件前後の日記を提出してもらった。


  ※ 現在、少なくない手話を学ぶ人々は、この「授業拒否」問題を「手話と口話」の問題として、生徒たちが手話を要求して「授業拒否」したかのように書いている。

 その典型として、以降の掲載する京都府ろうあ協会が声明を出した「3・3声明」を引用している。

 だが、「授業拒否」問題を「手話と口話」の問題だけに問題を単純化して考えるのはあやまっている、と思える。


 生徒たちのビラに書いた、

    私達は先生を「あの先生は手話ができるからよい先生だ」とか「あの先生は手話が出来ないからわるい先生だ」とか ー そんなことをいっているのではありません。ろう教育に対する、又私達に対する誠実さと、理解及認識の深浅を問題にしているのです。

と言うことを深く理解していかなければならないのではないか、と思う。

 最近、手話を覚えたりろう学校の教師になろうとしたり、なった教師の中で、
  「あの先生は手話ができるからよい先生だ」
 「あの先生は手話が出来ないからわるい先生だ」

 と言っている事を非常によく聞くようになった。

 だが、あえて書くと「手話が通じていないかどうかは、関係なく手話をする事でろう教育をしているのだ」と錯覚しているのではないか、とも思える。

 手話が「出来る」= ろう学校の生徒への「理解及認識」が出来ていると思い込んではいないだろうか。

 「授業拒否」問題で生徒たちが提起したことを単純化している。
 教育とは、そんなに単純な方法や簡単に出来る問題ではない。

 さらに、生徒たちやろうあ協会が、事件を「教育の基本問題」と言い、「ろう教育の基本問題」と言わなかった深層が理解されていないように思える。

 単純化すれば、読まれるだろうが、あえて、多様な生徒たちの要求と基本に迫っていきたい。
                                                     ( つづく )

2013年7月23日火曜日

声を出さない私達の口形が どれだけ読みとれますか ろう学校授業拒否事件生徒たちの意見(3)





教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


※ 聾学校高等部生徒会の出した「全校の皆さんに訴えます 京都府立聾学校高等部生徒会」のビラは、教職員の中で衝撃とともに充分読まれた。
 のちになって判明するが、この生徒会のビラを読んだ先生の中で感銘を受けた先生は少なかった。

  高等部の先生ではなく 中学部の先生が批判される

 大半は、「なんということをするのだ。」「教師攻撃だ」とする意見だった。

 しかし、聾学校の高等部ではなく、中学部の教師の中で生徒会のビラを大いに歓迎する意見が多かった。
 生徒自身が自分たちの要求を持ったこと、意見を出したこと、しかも自主的に。
   こういう動きは、聾学校では何よりも大切にしていかなければならない。


 とくに、中学部の教師たちが休日を返上して「京都高校生の交流集会」の手話通訳をはじめ、同じ高校生と交流した機会を持てるようにしたことが高等部の生徒たちを大きく成長させたなどの喜びが溢れていた。

 高等部と対照的な中学部の先生の考えは、後々、激しい教職員からの批判を浴びることになる。

 高等部の生徒たちの授業に対する要求は

 また、高等部の生徒たちが先生と話をしたいという「授業」については、ビラには具体的に書かれていないが、調べて見るよ次のようなことだった。
 
「授業がよくわかるもの中心であり、こうした差別には納得がいかない」
 
「一生懸命に質問に答えても、先生は聞こえないふりをする」
 
「授業の始業時間をきっちり守って教室に来て欲しい」
 
「手話で教えて欲しい」
 
「授業がわかるように研究をもっとやって欲しい」
 
「私たちと先生は仲よく勉強したい」
 
「何のために勉強するのか、その目的について話してほしい」

1965(昭和40)年11月19日 ろう学校の生徒会は、再び全校にビラを配布した。
  以下その文を掲載する。


  特に高等部の生徒は手話をやめて
  口話で話すように と校長

 校長先生及び全校の先生方へ!!

 11月13日土曜日の朝礼で校長先生は私達に

「中・高の生徒は手話が多すぎる。これでは小学部でせっかく一生懸命口話をやっても何にもならない。
 特に高等部の生徒は手話をやめて、口話で話すように」


「明日の憲法討論集会にはT先生とF先生に行ってもらうから承知するように」

とおっしゃいました。〈後者は高等部主事のお話し〉

  声を出さない私達の口形が、どれだけ読みとれますか

 このことは、言外に手話が出来るM先生やFU先生は行かさないと言った意味を含めていると私達は解釈します。

 又生徒は、集会の日につきそって下さった二人の先生が、私達には何の役にも立たなかったことや、万一の場合を考えないで、早く帰ってしまわれたことにも問題がありますが、このことには今回はふれません。

 校長先生は

「手話をやめて、口話でやれ、身振り程度ならかまわないが…...」

とおっしゃいました。

 T先生は生徒指導部の主任ですが、私達とはことごとく話が通じ合わず、意見が対立します。

 校長先生のお話があってから、T先生は

「校長先生があのようにおっしゃるから、私は手話を使わない」

とおっしゃいました。

「よろしい、ではT先生は声を出さない私達の口形が、どれだけ読みとれますか、それは苦しいことでしょう。お疲れになることでしょう。」

 私達は実際にこのことを実験しました。

  十分な口話が出来るために
 学校や教育委員会はなにをして下さいましたか

 そして私達が常に人の口をいや応なしに読ませられ、苦しく疲れてしまうことを説明しました。
 この切実な切実な声を、T先生、校長先生はどうお考えでしょうか。


 勿論、私達だって完全な読話や発音が出来るようになりたいし、口話教育が大切なことを否定しません。

 他の先生方からも、このことについては、よく聞かされ、自分達でも考えているからです。

 しかし私達が十分な口話が出来るために、学校や教育委員会はなにをして下さいましたか。

 ある先生のお話では、このためには、やはり三才位から、十分な教育条件を整えてやらなければ不可能だとおっしゃいました。

  小学部の生徒達は手話を使っている
    授業中先生は手話を使って話しているのに

 私達は殆どが六才~八才になってろう学校へ入って来た者ばかりです。

 当時は幼稚部もありませんでしたし、かりにあっても家庭の事情で、その教育を受けられるものばかりではありませんでした。

 家が遠く寄宿に入っても寮母さんは私達の食事や身のまわりの世話に忙がしくて、とても学校で学習したことを教えて下さる余裕はありません。

 担任の先生もよく変ったし、いつのまにか私達は手話を覚えて先生達も手話を使われました。

 今だって小学部は口話に一生懸命だとおっしゃいますが、小学部の生徒達は手話を使っていますし、授業中先生は手話を使って話しておられます。

 私達高等部の生徒はよくその様子をみかけます。

 校長先生は、何故そのような過程を無視して急に口話、口話と言い出されたのでしょう。

  口話法さえちやらんぽらんでいながら
  口話だ口話だといって居られる先生も数多い

 口話教育が大切だとお考えならば、なぜ全校の先生とよく相談した上でいろんな意見をまとめた上で私達におっしやって下さらないのですか。
 

 何故口話が大切で手話がいけないのか。
 よく判るように説明して下さらないのですか。

 先生達は何故もっと口話法の勉強をし、どんな風に教えたら私達にわかりやすいか、何を教えたらよいか-例えば、生徒会の集団討議では、どう口話を生かしたらよいか-を研究して下さらないのですか。

 口話法とは何なのか、このことを充分にきわめつくして行けば必ずその限界線上に手話が浮び上がって来ると思います。

 しかし残念ながら、口話法さえちやらんぽらんでいながら、口話だ口話だといって居られる先生も数多いと思います。
                                                                ( つづく )