教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
手話表現で四苦八苦したのは 聴覚障害生徒だった
聴覚障害生徒たちが書いた文章を手話表現する。
まさにこのことが手話弁論大会の重要な取り組みだった。
だが、手話表現で四苦八苦したのは、大会に出る健聴生徒ではなく聴覚障害生徒だった。
私たちは、最初からこう言う言葉は、手話ではこう現す、とは教えなかったし、その後もこれだ、と断定的に手話表現を教えなかった。
人間同士のコミニケーションをめざして
私は、今もこのことは非常に大切なことだったと確信している。
最近の手話をする人々を見ていると手話表現は、テキスト通りでまるでそのテキストの順序通りしているように思えてならない。
もっと言えば、「機械仕掛けの手話通訳」のように思えてならない。こんなことを書くと非常な反発があるだろう。
でも、私は、手話を教えてくれた数千人のろうあ者のかたがたの手話をどこまでも尊重する意味でも、その力とコミニケーションの創造をどこまでも大切にするためにも、あえて、書いておきたい。
ましてや、日本手話や音声対応手話と言った近年の「決めつけた手話表現」に迎合する気持ちはない。
手話テキスト通りに手話で現すと
自分が伝えたいことが相手に違う意味として伝わる
ただ、そう言った傾向が1970年代からあったので、あえて、健聴生徒も聴覚障害生徒もろうあ者や手話テキストを参考にする自学自習をまず第一にした。
一番最初に気づいたのは山城高校の手話サークルの健聴生徒だった。
手話テキスト通りに手話で現すと、自分が伝えたいことが相手に違う意味として伝わることになる、と言いだしてきた。
手話テキストの多くは、多義的表現が書かれていない。
そのため、それをあてはめていくと、違う意味になる。
例えば、「誤解していた」という表現でも、自分が一方的に誤解していたのに、お互いが誤解していたかのような手話表現になってしまうと言うのである。
10歳頃に形成される抽象的概念を
充分自分のものにしていない
一方、聴覚障害生徒は、文章や言葉と同様に手話表現の順序性にこだわった。
ここにこう書いてあるからこれでいいのだ、と言って言葉どうりに手話を機械的にあてはめていった。
これに対して、健聴生徒から、そんな手話ではまったく通じない、と言われても聞こうともしなかった。
条件付けられた順序性。
概念を崩しながら新しい概念をつくる。
10歳頃に形成される抽象的概念を充分自分のものにしていないことが痛感された。
「学校に行かなければならない。」という課題
最近聴覚障害者が書いた「9歳の壁問題」を読んで見ても、書いた本人がこの時期を豊かに過ごしていず、戸惑っていることがよく分かる。
手話弁論大会に向けて、健聴生徒にも、聴覚障害生徒にも課題を出した。
「学校に行かなければならない。」
と言う場合、手話でどのように表現するのか、という課題だった。
聴覚障害生徒は、すぐ応えたが、考え込んだのは健聴生徒だった。
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