教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
複雑な表現への疑問が飛び出した重要な時期を大切に
「じゃ先生。行かなければならないけどイヤイヤ行く場合は」
「行かなければならないことがうれしい場合は」
「行くけれど、行かんならん、行きたくない、行かんならん場合は」
と次から次へと疑問。
こういった「けれど」という複雑な表現への疑問が飛び出したことは、非常に大事なことである。
手話には多様な表現形態がある。それは無限だとも言える。
このことは、1970年代のことであって、現在のような「手の動き」だけで手話表現する傾向とはまったく異質のものであるといえば言い過ぎだろうか。
「雲」は 「雲」と現せればそれでいいという考え
例えば、テレビなどの手話では、雲が出てきたという場合、胸のあたりに「雲」を現し、「出る」と表現する。長方形の画面に制約されているためであろうか。
「雲がである」というのは、多くの場合は頭上であるから、頭の上に雲を現すのが自然である。
でも「雲」は、「雲」と現せればそれでいいという考えなのだろうか、それでは手話表現をすでに限定的に現しているの過ぎないのである。
以下参照
http://kyoikkagaku.blogspot.jp/2011/12/blog-post_09.html
「それそれ」とか「そうだ、その通り」
など表情がぱっと華やぐ
「行かなければならないけどイヤイヤ行く場合は」
⇒ 「行く」「必要」「仕方がない」
「行く」「必要」・人差し指と中指で歩く様子を現し、ジグザグ、行きつ戻りつの動きを現す等々
「行かなければならないことがうれしい場合は」
⇒ 「行く」「必要」「うれしい」
「行く」「必要」・にっこり等々
「行くけれど、行かんならん、行きたくない、行かんならん場合は」
⇒ 「行く」「必要」「行く」「イヤ」「けれど」「行く」「必要」
「行く」「必要」「行く」「好き」「違う」「けれど」「行く」「必要」
「行く」「必要」・悲しい顔・「押しつけられた表情」等々
いくつかの手話表現のヒントを出す。
すると、生徒たちの目が輝くときがある。
「それそれ」とか「そうだ、その通り」なで表情がぱっと華やぐ。
こうなれば、手話表現を自分の中で取り入れ自分の一番いいたい手話表現を取り入れていく。
書いた原稿を書き直したいと言い出すとき
そうでないときは、何度も時間をかけて相談する。
この時間こそ大切な時間であり、たっぷり、ゆっくり時間をとる。
生徒たちは、このことから滑空を初めて行く。
そうなると楽しくなり、一生懸命手話表現を追求する。
生徒たちは、書いた原稿を書き直したいと言い出す。
それは、うれしい、悲しい、つらい、イヤだった、などの文章表現をもっと自分の気持ちに合った文章表現はないかと国語辞書を引いて、たずねてくる。
そこで、
「君の表現からすると、心の奥にしまい込んでいた哀しみが抑えきれなくなった。と手話表現通りに言いあらわすことが出来るよ」
などアドバイスして、
「それそれ」
とか
「そうだ、その通り」
などと表情がぱっと華やぐ文章表現をともに考えるようになる。
ともすれば、近年、文章と手話、音声言語と手話は異質のものであるとか、対立するものであるとか、日本語と違うが言語であるとかの意見が横行しているが、
それは拙速ではないかと思う。
http://blog.livedoor.jp/kasa0774/archives/22858909.html
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