教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
( 解説 )
A先生の特別学級(Special education classes)をつくろうと提案し、全教職員の一致で特別学級(Special education classes)がつくられたことは、その後の学校教育や学校そのもの、教育とは何かを指し示すようになってい行く。
「アホ学級」と言い続ける子どもたちに
注意をしたり、理解をもとめるようなことはしなかった
特別学級(Special education classes)は、一定の生徒への教育的取り組みで普通学級に戻ることも出来る子どもも、そうでない子どももいた。
親の中には、特別学級(Special education classes)に我が子が入級することに激しい抵抗を示す人もいた。
また生徒たちの中で特別学級(Special education classes)の子どもに直接「アホ学級」と言い続ける子どもたちもいた。
だが、A先生は「アホ学級」と言い続ける子どもたちに注意をしたり、理解をもとめるようなことはしなかった。また、全校の各クラスで、特別学級(Special education classes)の理解をする時間を設けることなどをしなかった。
特別学級(Special ducation classes)の子どもたちへの回りの理解を特別求めることをしなかった。あまりにもひどい状況以外は。
このことは、最近の特別支援教育なり、特別支援教育委員会なりの「啓発書」なり研究会、学習会とまったく異にした取り組みだろう。
毎日、毎日学校に行きたいと
まず、A先生は、子どもたちがいきいきと学校に来て特別学級(Special education classes)の勉強がとても楽しい取り組みをした。
すると、日曜日でも夏休みでも子どもたちは、学校(特別学級ーSpecial education classes)に行きたいといって駄々をこねるまでなって来た。
また、何度も何度も家庭訪問をして、親と徹底的に話し合った。
野良仕事に疲れ果てたり、縮緬織りの手を休める事の出来ない親とも最大限の話し合いをした。
A先生の自宅は、小学校のすぐ近くであったが、帰宅はいつも深夜だった。
身を粉にしながら、A先生は地域の人々の労働と教育への期待をずっしり受けとめながら、特別学級(Special education classes)の子どもたちの未来の教育を考え続けた。
身を粉にしながら、A先生は地域の人々の労働と教育への期待をずっしり受けとめながら、特別学級(Special education classes)の子どもたちの未来の教育を考え続けた。
「アホちがう。」
「一生懸命勉強しなる」
特別学級(Special education classes)の子どもたちが毎日楽しく勉強していることや笑顔一杯のようすを見て、「アホ学級」と言っていた子どもたちが次々「アホ学級」をのぞきにに来るようになり、「ぼくもあのクラスで勉強したい」と言い出す子どもも出てきた。
このようになると、もうみんなのあこがれのクラスになり、「アホ学級」と言う子どもは少なくなってきた。
「アホちがう。」「一生懸命勉強しなる」
子どもたち自身が子どもたち同士の中で理解の輪を広げていった。
クラスへの入級を反対していた親は、自分の子どもの笑顔が甦り、楽しそうに学校に行き、学校で勉強したことを話すようになると、「反対していたこと」を忘れ、子どもと共に喜び合う事が多くなってきた。
子どもの未来の暗闇に光がさしこみ、その光の中わが子が居る喜びが広がった。
だが、その地域には、まだ学校の門を一度もくぐったことのない子どもたちが居た。
就学・猶予免除の子どもたちであった。
( つづく )
0 件のコメント:
コメントを投稿