2011年8月29日月曜日

障害のある教職員に 元学校教育課長のじわじわ退職を迫る陰湿な態度に笑顔の反撃


 山城貞治(みなさんへの通信69)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その49)
 (25)管理職などの、威圧的態度、要求無視、高圧的態度、人権無視、学校の民主的運営の破壊などは、教職員のストレスを増加させ、精神衛生上もっとも悪いものになっているのでやめさせる。

 京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」1999年1月。 府高労働安全衛生対策委員会の調査で、昨年12月中旬障害児学校長(前府教委学校教育課長)が、「異動希望調査書」にもとずくヒヤリングで「留任」を希望する寄宿舎教育ベテランの女性教職員のA先生の人権無視し、退職を示唆する「追及」を平然と行っていた事実を明らかにした。以下掲載する。

寄宿舎のない学校へ転勤と
「退職」せまる元府教委学校課長だった校長

学校長は、まずA先生に「50歳か。一番年上で長老やな。」と言いながら
「M養護学校しかないな。でも、Mには寄宿舎がないから、やっぱり、ここしかないな。」
と話しています。校長は、府教委の学校教育課長をしていて、M養護学校には「寄宿舎」がないことは百も承知。
 それをあえて、A先生に校長は切り出しています。
 この時点で、A先生は、話の方向が変だなあ、と感じたとのこと。
同一職種のない職場への転勤を主張する学校長の発言は、明らかに「退職を示唆」したもの。
 民間の会社で行われているリストラ攻撃と同一の手法を学校長は使ってきたと言わざるを得ません。
制度的保証がないと障害のある教職員に「退職計画」せまる法も知らない校長
さらに学校長は、A先生に
「障害の等級はなんぼやったかな。」
と聞き、A先生が
「1種2級です。」
と答えると、
「あっ、昨年も聞いたな。あと10年だけど将来構想はどう思っている。」
と聞き、A先生が
「特別には考えていません」
と答えると、校長は、
「1種2級の障害があっても、みんなと同じように仕事をしてもらわないと制度的保証がないので困る。」
と言い、それに対してA先生が、
「障害があって体力的にしんどい時もあるが、職場のみんなの協力や励ましでがんばって仕事をしている。」
と答えると、校長は執拗に何度も
「あと10年だけど将来構想はどう考えているのか」
と聞き続け、A先生を追及し続けました。
 校長の  執拗な追及によるショックで……
そのためA先生は、次第に追い詰められ、自分の将来の健康の不安も加わり動揺したそうです。そのため「身体が続かなくなったら……」と言うよう
な話をしたそうですが、校長のあまりにも執拗な追及によるショックで頭の中が一杯になっていたとのことです。
「身体が続かなくなったら……」と言い出した時から校長は、「異動調査書」をA先生に見せ、「(人事は)3月31日まで動いているから、気持ちが変わったらいつでもいいから直接言いに来なさい。」と言ってヒヤリングを終わったとのこと。

  厳しい労働条件の寄宿舎で必死にがんばってきたのに

A先生は、27年をこえるベテラン寄宿舎教職員。
障害を持ちながら障害児の養護・訓練の学習はもちろん夜間勤務も含む交代制勤務の厳しい労働条件の寄宿舎で必死にがんばってこられました。
それまで歴代の校長は、

「出来ることでがんばれば……」
「細く長く働くように」

とA先生を激励してきたそうです。
が、今回の学校長の態度。
憲法、労働基準法、労働安全衛生法や障害者の雇用の促進等に関する法律、雇用対策法、障害者のリハビリテーション及び雇用に関する条約などなどをあげる必要もないぐらいの人権無視の高圧的態度。しかも府教委の学校教育課長の経験者であったとのですから驚きです。

府教委の
 「新年を迎えて」の決意に「逆行」している校長
                                
府教委は元旦付けの「新年を迎えて」という文章を教職員に配布し、昨年が世界人権宣言50周年であったことなどを述べ、
「一人ひとりの尊厳と人権が尊重される社会の実現」
を強調し、
「『京都府障害者基本計画』を踏まえ、障害のある児童・生徒の社会参加と自立の促進を図るため、一人ひとりの障害の状態、発達段階、特性などに応じたよりきめ細かい教育をすすめてまいります。」
と述べている。
しかし、府教委の主張とは裏腹な現状が進行しているのです。          

痛めつけられて苦しめられたA先生の握りしめた拳と笑顔

  京都の冬は、身体まで凍らせる底冷え。A先生を訪ねて事実を聞きいたが、ただうな垂れて一点を見つめるばかり。かなりのショックを受けていた。
「1種2級の障害があっても、みんなと同じように仕事をしてもらわないと制度的保証がないので困る。」
と言う校長は、どれほどA先生を苛み、傷つけたことだろう。27年も働いてきたし、「同じ仕事が出来なかったら退職せよ」と校長が言っていることは明らかだった。
  「(人事は)3月31日まで動いているから、気持ちが変わったらいつでもいいから直接言いに来なさい。」
と言う言葉は、真っ赤な嘘。
退職は事前に言わなければならないし、3月の内示が出れば、人事異動はないことはみんな知っていた。
この間の府高労働安全衛生の取り組み、障害児学校の校長が、障害を理解できないばかりかそれを理由に退職させようとする。こんなことを許してはならないし、A先生も定年まで働きたい希望を持っている、そんな気持ちがひしひしと伝わってきた。

  時間とともに、A先生は実名を出してもらってもいい。「教職員のいのちと健康と労働」に自分のことを載せてもらってもいい。そうすることで他の障害者の教職員や病気で苦しんでいる先生が退職を迫られたり、強制異動を少しでも減らせるのなら、と笑顔で話されるようになった。

そして、上記の文章が「教職員のいのちと健康と労働」に掲載された。
A先生の異動の話はピタッと止まり、同様なことを言われていた教職員の「退職」や「異動」の話はなくなった。


教育と労働安全衛生と福祉の事実は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。
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