2000年京都府高・京教組共催「夏の労働安全衛生学校」のテーマ「労働・基本的人権・いのち」より川人博弁護士の講演の概要より
川人博講師自己紹介
1949年、大阪の泉佐野の出身。生まれ。東大経済学部卒。過労死弁護団全国連絡会の事務局長。 過労死関係の本多数。「国際交流のための英語」などもある。
教職員のいのちと健康と労働について話をしたい。妻が小学校の教師。そういう意味で私も教職員の働きすぎの犠牲者の1人。
電通過労自殺の訴訟は、1つの事件の判決に留まらず、日本の労働者のいのちと健康を守る闘いにとって極めて重要なもので、その判決は日本の人権裁判史に残る。
電通は毎年新入社員が100数十人いるが、かなりの部分が「どら息子」。3億の金を取りながら、コマーシャルを一切流さなかった。
「ドラマの合間に流されるはず」と言われた企業が、いつまで待っても流されないので調べると、金だけ取って、ビデオは作ったが、テレビ局に何もアクションしなかったらしい。
政治家の息子だとか、大企業の息子だとかを採用。
だから、多数の新入社員はいるが、まともに働けるのは少ない。
大島君はコネも何もなく入社した一人。前途は有望であった。
一審の東京地裁南裁判長は、「出向」でILOにいたことがある。私の出身高校の三国ヶ丘高校の2つ上の先輩。外国生活が長いこともあって、日本の働きすぎを異常と捕らえる感覚があった。
電通に頭が上がらないマスコミ
一審の東京地裁判決は、朝日新聞の東京版だが、1面トップ記事だった。
3月28日のニュースには流れない。スポンサーを獲得すのが、電通などの広告代理店。
「民放」にとって電通は頭の上がらない存在。
一審の判決が出た時、夕方の時間帯のテレビで報道しないので気になって、朝日新聞に問い合わせた。
答えは記事として「出す」という返事だった。
「もしかしたらトップかも」と、にわかには信じられなかったが、実際トップ記事だった。
その背景に、大島君の先輩で、自殺をした社員がいた。
その父が朝日新聞の社長だった。
この朝日新聞社長の息子の自殺については一切報道がなかった。だから大きく報じたとは言えないが、朝日新聞社にはそういう背景もあった。
革靴の中にビールを入れて、部下に飲ませるのは「面白半分」
東京地裁一審の判決は、よくできた素晴らしい判決。記事になっていない部分を紹介したい。
東京地裁判決の一部。宴席で上司が革靴の中にビールを入れて、部下に飲ませる。飲まなければ踵でたたく。これは、両親の調査で判明した。
一郎君の交際相手が、その事で悩んでいたと言ったので、調べた。
上司も認めた。目撃者が多数いて、隠しきれないと思ったのだろう。他にも寿司をぶつけたりした。
裁判官の
「どうして、そうしたのか」
の問に、
「面白半分に」
と上司が回答。
過労死にはある 非人間的な逸脱行為が
過労死裁判をやっていて思うのは、人間性の逸脱が多々ある。
どちらが先かは、わからないが、働きすぎると、頭がおかしくなる。
電通のこの事件は、長時間労働の問題もあるが、非人間的な人間関係も重要な問題。
口頭弁論で、このことを一番最初に訴えた。
電通側が訴えたのは、そのことは当時学生の間で流行していた「イッキのみ」と同じ。いじめではないと反論。新入社員の歓迎会で裸踊りなどもある。
みなさんの教え子もそんなことをさせられているのではないか。
こんなような非人間的な、常軌を逸した行いが電通であった。
二審の東京高裁の賠償額は減額理由は
そして二審の東京高裁。
ここでも会社側の責任を断罪。ただし、賠償額は減額。
被告側は、「自殺の原因は失恋」と主張。
一郎君の交際相手が裁判に証人に立つことに。
会社側は別の原因を出す必要があって、無理矢理に彼女を法廷に出させた。しかし、弁論では、それをうかがわせる内容は一切でなかった。
それで二審でも勝利。
おかしい 「まじめで責任感が強かった」ことが、賠償減額の理由
残念なことに、二審は、「まじめで責任感が強かった本人にも責任がある」と判決。そういう意味で、高裁判決は問題があった。
「まじめで責任感が強かった」ことが、賠償減額の理由になるのはおかしい。 また両親が、助言しなかったことにも責任があるということで減額になった。この判決には両者とも上告した。
それで最高裁で画期的判決が出された。
最高裁小法廷は、五人で判決。会社に責任がある、減額には問題がある、と二審差し戻し。
最高裁でこういう判決は初めて。基本的には一審判決に戻った。
企業側の責任を認めた上で、両親の監督責任を認めない。
まじめな本人に責任があるというのもおかしい。
本人の性格も含めて会社は採用しているのであって、これも会社の責任とした。
「殺されても離すな」と言っておいて
死んだら本人責任とはひどい
「鬼の十則」というのがあって、鬼のように厳しい規則がある。電通の社員がもつ手帳に書かれている。
「殺されても離すな、目的達成までは」など。
二審の東京高裁判決のまじめで働きすぎたのが悪い、などというのはあまりにも理不尽。
私が裁判で電通では「殺されても離すな」と言っておいて、死んだら本人責任とはひどい、と言うと、電通側は「命令ではない」と言い訳。
最高裁は、高裁差し戻し。裁判所としては早く和解すべきとの見解。最終的に和解した。
「企業側の責任」ではなく
「自殺で、企業がどれだけ損害を被ったか」
10年間で「会社の損害論」から「会社責任」へ変化
和解はお互いに譲歩したというイメージがあるがそうではなく、裁判以外で決着すること。
会社側の責任を認めて賠償金を支払うことで合意。
本人死亡から約10年。
会社側の謝罪で終わった。
今でこそ、理解されるようになったが、一審で裁判をたたかっていたとき、新聞記者から「会社側はいくら遺族に請求しているのか」と聞かれたことがある。
このように10年前は、「自殺で、企業がどれだけ損害を被ったか」という感覚はあったが、「企業側の責任」などという意識はほとんどなかった。
職業病などでの闘いの中で
訴えてきたことがようやく認められた最高裁判決
最高裁判決の画期的な内容
こういう事案もあった。36歳の社員が東北で自殺。
会社から遺族が呼ばれて、「謝罪文」を会社側から書けと言われた。
両親は納得できず、私に相談。
会社の感覚としては、自殺でなくなるというのはとんでもないこと、という考え。
最近の数年間でようやく意識が変わってきた。
今度の判決は過労死をめぐるものの集大成と言える。
最高裁判決に
「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負担等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。」
という文章がある。
一昔前ならこんな書き方はしなかった。
異常な出来事があって、病気になった場合は、労災を認めたが、蓄積疲労の場合は、長い間認めてこなかった。ところが今回、最高裁が「周知のところ」と認めたのは画期的。当たり前のことではあるが…。
また、労働安全衛生法65条の3は特別な危険な仕事のことだけではない。すべての労働者の事を言っている、としている。
「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務遂行に伴う疲労や心理的負担等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり」~。
当たり前のことではあるが、当たり前のことを明確に述べたという点で、非常に重要な判決。
われわれが、職業病などでのたたかいの中で、訴えてきたことがようやく認められた。
「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。
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