教職員の労働について。鷲谷氏の作成し、最近まとめた「山梨県の公立の高等学校教職員組合の教職員対象の労働実態」がある。
まず、「収入生活時間」で、部活。日曜日、男性の平均で1時間26分。
平均でというのは、やってない人も入れての平均なので、やっている人はもっとやっているということ。
学校の先生の過労死事案をしていると、部活の問題が大きい。
今、八王子の中学校の先生の過労死事案をしているが、部活と進学指導が問題。
東京では「部活未亡人」という言葉がある。
本来は、部活で土曜も日曜も、部活で家にいないからということで言われたが、今はもっと深刻。
本当にいのちを奪われて、「未亡人」になっている事例がある。
生活指導も大きな問題。
茨城の事案。例えば、学校の生徒が下校途中で民家の塀に小便する。すると、民家から教師の家に電話があり、教師が行って謝る。
勤務時間にかかわりなく24時間教師の役目を負わされている。
部活動の意義という問題とは別の次元の問題。
どうしてこういう事が起こるのか。
平均でというのは、やってない人も入れての平均なので、やっている人はもっとやっているということ。
学校の先生の過労死事案をしていると、部活の問題が大きい。
今、八王子の中学校の先生の過労死事案をしているが、部活と進学指導が問題。
東京では「部活未亡人」という言葉がある。
本来は、部活で土曜も日曜も、部活で家にいないからということで言われたが、今はもっと深刻。
本当にいのちを奪われて、「未亡人」になっている事例がある。
生活指導も大きな問題。
茨城の事案。例えば、学校の生徒が下校途中で民家の塀に小便する。すると、民家から教師の家に電話があり、教師が行って謝る。
勤務時間にかかわりなく24時間教師の役目を負わされている。
部活動の意義という問題とは別の次元の問題。
どうしてこういう事が起こるのか。
人間の限度を見極めないでいのちと健康が奪われる
最近私は、「社会的な意義があるからといって、部活にしても生活指導にしても、受験指導にしても、進学指導にしても、「限度を超えて働いてはいけない」ということ。
私は、日曜日の部活は労働組合が先頭に立って廃止すべきだと思う。
以前、新潟に行ってそう言うと、
「それが生きがいの先生がいるから、そんなことは言えない」
と言う。
私は生きがいはいいけれど、限度があるということを言いたい。
そのために多くの人の命や健康が奪われていいはずがない。
仕事としては大変だと思うが、教師の仕事ではないとわりきればいい。
限度を逸脱して働きすぎている教職員
女房に日曜の夜に電話があって、「川人先生いますか」という保護者からの電話。
妻は外出していて私が受け、要件を聞くと
というもの。
「それだけですか」
「それだけです」。
利潤追求であろうとなかろうと、働きすぎはいけない。
働きすぎを容認する考え方はダメ。
どんなに社会的意義があろうと、いけない。
京都府高の学習会に岡村弁護士が来て話をしたらしいが、彼はどんなに忙しくても釣りに行く。それも一つの抑制の仕方で必要なこと。
健康であることは、いい仕事をするための条件。
理性的な判断が出来る条件。
そういう意味でも、今後の研究課題にして欲しい。最後は個人的な問題提起になったが、長時間のご静聴に感謝する。
(健康で安全に働くための基礎 ディーセント・ワークの実現のために 細川汀編著「文理閣」より)
順応と破綻
疲れを知らぬスーパーマンはかえってこわい。病気がじわじわ進んでも、気がつかないから、急に倒れるときがある。
人間は少しぐらいの無理にはそのうちなれる(順応)ことがあるが、いつかは無理がきかなくなる(破綻)。
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