教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
小さいことではあるが それなりの工夫をして
体育祭の時の一年の目標というのも各クラスの担任副担任が、生徒の現状を出し合い、体育祭をとりくむにあたっての学年の課題は何かという討論を粘り強くつみ重ねていく中で生まれてきた。
そうして、ひとりでも多くの生徒をこの体育祭に参加させ、優勝に向って力を発揮させるためには、どんなことができるのか、様々な力量や条件をもった各クラスの担任がそれぞれに出し合い、
「これなら私にもできる」
ということで、個別の分野で指導しつつ、ひんぱんに担任会をもち、全体の進め方を確認していったことが、このとりくみを成功へ導いた要因である。
限られた条件の中ででも、やれることは何かをどこまでも追求していくことが、生徒を変えていく力になるのではないか。
今はそんな気もちで、家庭訪問がしにくいのなら、家庭にひんぱんに電話をして、なるべく多くの父母と話そうとか、教室には休み時間などにできるだけ顔を出して、機会を見つけては生徒と話をしようとか、小さいことではあるが、それなりの工夫をしている。
とうの昔に脱落していただろう
テレビドラマの○○先生になれと要求する職場なら
人並みはずれたがんばり屋でもなく、非行と真正面から立ち向った教師の記録などと銘うった本に登場するような勇気や行動力にあふれた教師でもなく、ましてテレビドラマに描かれる万能教師でなどあろうはずのない私が、この五年間山城高校定時制でやってこられたのは、こうした教師集団の中で互いに補い合い、支え合い、その中から実に多くのことを学んだからである。
これが、私のような条件の教師に、テレビドラマの○○先生になれと要求する職場であったら、とうの昔に脱落していただろう。
先生、赤ちゃんが生まれたらやめるんやろ
子供どうしてる?
大きなお腹をかかえて授業をしていた頃は
「先生、赤ちゃんが生まれたらやめるんやろ?」
とか
「母親が勤めてたら子供がかわいそうやで」
などと生徒からよく忠告?を受けたものだ。
しかし、この頃は
「子供どうしてる?」
とか
「学校に連れて来たらよいのに」
とよく声をかけられる。
私の子育てが、生徒の中にも一定の理解を得てきつつある……などという解釈は私の勝手なこじつけであろうか。
絶望的な気もちになることがあるのも事実
あれができる これができる これもできるようになった
という見方をすると
だが、現実の授業の場面で、ガムをかみながら、横向きに座って私語をしている生徒たちを前にする時、
「授業をうける態度ができてない」
とか
「これほどのエチケットも知らない」
とか、
「漢字が読めない」
「文章が書けない」
と絶望的な気もちになることがあるのも事実である。
そんな時、障害児学校では
「あれができる、これができる、これもできるようになった」
という見方をするということを聞いた。
なるほど、そういう見方をすると、生徒の発達や変化が手にとるようにわかってくる。
「A君がこんなに変ったんだからB君もきっと」
「C君が漢字を読めるようになったんだから、次はすばらしい文を書いてくれるに違いない。それは長い時間がかかるかも知れない。しかし、きっと」
という生徒に対する信頼が生まれ、展望がわいてくる。
その喜びを一度味わうと、教師は少しぐらいの困難があってもきっといつかは、という思いで、生徒たちから目を離せなくなってくる。
「やめられない、とまらない」である。
たとえ遅々とした歩みでも、そして時に後退しながらでも、とにかく前に向って進みたい。
私は、泥沼?に足をひきこまれたように、この山城高校定時制から脱け出せなくなりそうだ。 (了)
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