( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 5 )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
口話教育 1965年前後ろう学校がすすめていた口話教育(対応教育)の理屈と実際
知識欲の刺激 吸収の手段 疑問詞分割
2,言語の概念的な側面について
この拡充についてはもっとも力を注いでいるが、将来、統辞能力を培う時にもっと有効な分割方法として、又、知識欲を刺激し、吸収の手段となるものとしての疑問詞による分割法を重視している。
2才児教育相談
A,身振り言語による経験の概念化をすすめる。
B,絵記号を代表にして種と類の概念を養う。
C,Key Word、なに、だれ、どこ、いくつ、(どんな)いろ、(どんな)かたち、どうして、
などの概念をいれ、それによる外界の分割法を学習する。
この段階で、Cued Speech、口形図を用いて語を習得するものが100語前後になる。
絵カードにより、種、類の概念を並べることで四語文相当の表現を理解し、反応できる。又、それが既につくり上げた100語文以外のものであれば、Cued Speechで追うことが出来る。
二語文に入れる素地ができる。
3才児学級以降
主として総辞訓練へ移行していく。
この段階に通じて、私たちが重視しているのは事物と記号の結合ではなく、概念と記号の結合となること。
そしてその概念が、年令相応に発達しているかどうかである。
3,言語の統辞的な側面について
この問題については、私たち言語入門期のプログラムの文型のところに詳しいのでここでは詳細にふれないが、幼児が言語を生活の必要に応じて文として表出する動機を主軸として彼らの得る情報の乏しさでもっと統辞能力を獲得できるように計画した。
しかし、これらの文型は、単なるドリルで形はめ的に学習できるものではない。
感情の動く生活の場を用意する努力の必要なことは当然である。
だが、反面、子供自身が、公式を知ってそれをあてはめる次々回答でほめられるといった風なドリルを楽しめるような工夫がないと自動的に使えるまでの練習ができないことも事実である。
※ 概念形成が、年齢相応に発達しているかどうか、という視点は重要なものがある。
ただ、ここで述べられている「概念」は年齢相応に発達して行く概念かどうかは、大いなる疑問が残る。
1980年代に大阪教育大学のM教授は、言語指導としての口話は、将来、簡単に手話法に置き換わるように主張されるだろう、という指摘をしていた。
たしかに、現在ろう教育に手話を主張する人々の多くが、乳幼児や学童期の子どもたちの「年齢相応」の発達を考えているかどうか大いなる問題がある。
乳幼児や学童期の子どもたちの精神・肉体の発達を考えられているとは考えにくい。
例えば、手話を教えるときに子どもたちの身体形成が十分でないのに大人でも肉体的負荷がかかる手指の動きを要求している。その最も悪しき傾向が指文字の導入である。
医学的にも指文字は手話の中で最も手指腕に負荷がかかり、成人でも大きなダメージを与えることがあきらかにされている。しかし、なんのためらいもなく、乳幼児や学童期の子どもたちに教えられている。
ろう学校幼稚部の
言語指導で
「彼らの得る情報の乏しさでもっと統辞能力を獲得できるように計画した」
「これらの文型は、単なるドリルで形はめ的に学習できるものではない。
感情の動く生活の場を用意する努力の必要なことは当然である」
としながら、
「子供自身が、公式を知ってそれをあてはめる次々回答でほめられるといった風なドリルを楽しめるような工夫がないと自動的に使えるまでの練習ができないことも事実である」 とドリル=知識や技術を習得するための反復練習・指導法や教材を肯定して行く。
そして、反復練習を嫌がる子どもには、「ごほうび」が準備され「楽しめる工夫」がなされるのである。
ここで、「感情の動く生活の場」が極限にせばめられ、子どもたちの感情表出は、「与えられたこと」に対して「それに応える」ことに限定されていく。
2歳児に教える側から、「なに、だれ、どこ、いくつ、(どんな)いろ、(どんな)かたち、どうして」と迫られなどが続くと、
子どもたちから生じる気持ち「なに、だれ、どこ、いくつ、(どんな)いろ、(どんな)かたち、どうして」が出せると言えるだろうか。
この逆転した発想と指導は、その後の子どもたちの人格形成に重大な悪影響を与えて行く。
この頃の幼稚部のお母さん方は、子どもたちを動物園や遊園地に行くことに極端に嫌がった。
特に、イルカショウーは「見たくない」という第一番であった。
( つづく )
0 件のコメント:
コメントを投稿