( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 6 )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
口話教育
1965年前後ろう学校がすすめていた口話教育(対応教育)の理屈と実際
4,言語の聴覚補償の側面について
これについては、早期に補聴器を装用させ正しく取扱いできる訓練が大切であることは論をまたない。
しかし、言語指導のゆきづまりの打開として補聴器に期待した中、重度の難聴児の発音指導をこれにすりかえりょうとする考え方はまったく正しくないことをはっきりしておきたい。
補聴器は、補聴器の助けがなくても十分に言語指導できる教育計画をより効果的にすすめる補助手段である。
言語を十分に持っているこどもは、それによせて、聞く訓練をしていく時、途中失患者に似た高度の効果を示すものである。
90㏈の壁は、聴力と補聴器の問題の他に、その子のもっている言語力とも関係をもつことを感じさせられる。
以上の方法によって獲得した言語力を核として、ひっかかりとして、わからないことばがあった場合も、その場面や文脈の中で理解していくだけの力に高めることができると考えられている。
言語を獲得する核を体得した上は、普通学級の中で豊富な言語環境の中で学習することが望ましいし、可能であるという考えである。
( 京都聾学校幼稚部におけるインテグレーションの考え方より 終わり )
方法論・マニュアル主義の犠牲と教育
※ 1960年代後半に書かれた「京都聾学校幼稚部におけるインテグレーションの考え方」を引用してきた。
ここには、「考え方」と「具体的指導には大きな違いが見られる。
今回掲載した部分でも、「言語指導のゆきづまりの打開として補聴器に期待した中、重度の難聴児の発音指導をこれにすりかえりょうとする考え方はまったく正しくないことをはっきりしておきたい。
補聴器は、補聴器の助けがなくても十分に言語指導できる教育計画をより効果的にすすめる補助手段である。」と断定している。
ところが、考え方の基本部分では、「私たちの過去の失敗は、聴覚を奪われた子供たちに、本来聴覚からのみ容易に入る音声記号を、それには不適当な他の残された感覚経路からストレートに押し込もうとしたことにある。
私たちは学習理論の原則に立ちかえって、彼らの残存感覚にもっと無理と抵抗のない信号をもちいて彼らに言語の存在に気づかせ、言語の価値を自覚させ、それを利用して耳の聴こえる子供たちに劣らない外界の把握と分割法を夫々の年齢で持たすべきである。そして次の段階で、彼らの信号をいくつかの条件づけの過程を経て、私たちの基本的伝達経路をしている音声言語へと移行させていく計画を立てるべきである。」と「残存感覚にもっと無理と抵抗のない信号をもちいて彼らに言語の存在に気づかせ」と述べている。
当時の、京都聾学校の幼稚部では、子どもたちに補聴器を付けさせていても「事実上は何の意味」と考えていたのである。
「90㏈の壁は、聴力と補聴器の問題の他に、その子のもっている言語力とも関係をもつことを感じさせられる。」としながらも当時、90㏈の子どもは幼稚部にほとんど在籍していなかった。
後で述べるエリートインテグレーション(インテグレーションの成功した生徒)たちのほとんどは残存聴力があった子どもたちである。
この点では、京都ろう学校幼稚部は、聴言室と呼ばれた「聴能教育」に取り組んでいる先生たちと連携しているようでいなかったのである。
そして、基本的な考え方はさておいて、話せる、話が分かるという方法論に傾注していく。
そして、とんでもない指導が基本的考えを打ち捨てて言語指導がされていく。
これらの傾向は、現代の「発達障害指導」や「特別支援教育」などの傾向に「伝承されている」ように思えてならない。
基本と方法の分離。方法論への終始。
方法論と基本の相互関連。
多くの問題と教訓がすでに投げかけられていた。
( つづく )
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