山城高校 手話弁論大会の与えた影響
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
すべての生徒も顔を見合って話が出来る教室
山城高校の手話弁論大会は、100人は入れる特別教室になっていた。
緩やかなスロープの階段教室で後ろからでも下方を見えるようになっていた。
このような、教室は山城高校の聴覚障害教育がはじまって以来の念願だったが、別の意味で作られていた。
ギリシア、ローマの遺跡に見られる馬蹄形の階段状の建物は、各々の顔が見られるとともに音響も考えてあり、ひとりの人が話しても遠くの人まで聞こえるようになっていた。
聴覚障害生徒だけでなく、すべての生徒も顔を見合って話が出来る教室。これをもとめていたが、通常の教室以上の莫大な費用と面積ががかかると言うことで却下されていた。
「うんうん」「なるほど」「そうそう」
参加者や教師たちは、弁論の生徒の顔が見える、話がよく聞こえる、小さな舞台にもなる、スクリーンやボードのあるこの教室を日曜日に借りて弁論大会を開いた。
そして、各方面に生徒たちが手づくりで案内を出した。
今日ほど、手話が広がっていない時代の取り組みで参加者は教室の半分にも満たなかったが、聴覚障害生徒も、健聴生徒も必死になって弁論した。
生徒たちは、弁論に必死で参加者のようすを見ているようすはなかったけれど、みんながうなずいてくれていることだけは、解ったと喜んでいた。
参加者のようすを見ていると特に、ろうあ者の反応が強かった。
「うんうん」「なるほど」「そうそう」と「相づち」うっていた。
休憩に入って、弁論の文章を印刷されたものが配られたが、みんなは読むと言うより、「なるほどなあ、こういう風に手話で表現出来るのか」という関心がつよかった。
休憩後、参加者からの意見が次々出された。
「手話で、ここまで表現出来るとは思わなかった。本当にみんなよくやった」
と聴覚障害生徒のお父さん。
「高校には入れるから悩みはないと思っていたけれど、やっぱり私たちと同じ悩みがあるのね。よかった。よかった。」
「手話が私たちより上手なので驚いた。すごい。すごい。」
「高校で手話を勉強してくれるなんてうれしい」。
ろうあ者から次々と意見が出て、それまで難聴教育などという名称だけにこだわっていた父母の気持ちを溶かしはじめたようだった。
心が通じあうということはこんなに大きな喜びとなるのか
何よりも喜んだのは、参加した健聴生徒や聴覚障害生徒で、心が通じあうということはこんなに大きな喜びとなるのか。
伝わらないという気持ちだったけれど、伝わったんだ、と大喜びした。
ある聴覚障害生徒は、卒業前に次のような文章を後輩たちに残していった。
手話を初めて知ったのは、小学六年の僕が絵画の勉強をしに聴覚障害者のT先生と出会った時でした。
T先生が、「君、手話を知っているか。」と手話で、僕にたずねました。
T先生やその他の難聴の人のために、僕は手話で話さなければならないので、手話を学ぼうと決心しました。
そのために山城高にある手話部で僕は少し体験してみました。
この部員達は全部女の健聴生で、手話の単語を覚えたり、歌を手話で歌ったりするなど熱心な人々でした。
僕は簡単な手話から学んでいくにつれておもしろさや楽しさを味わうようになりました。
そして、山城高校の第一回手話弁論大会に参加し、努力賞をもらい、続いて翌年見事に優秀賞を獲得してしまいました。
僕は手話は、体や顔の動きによって伝達する事でなく、気持ちで伝達する事だと考えました。
または、"真の手話"で伝達することも大事だと思います。
僕は"気持ちで伝達する""真の手話"を学んで、将来は,コミュニケーションの役に立てたいと思っています。
このような反響を与えて行ったが、手話弁論大会には、第1回からろう学校・ろう学校高等部生徒会宛に案内を出しているにもかかわらず参加はなかった。
http://blog.livedoor.jp/kasa0774/archives/23646984.html
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