教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
聴覚障害と言っても千差万別
卒業生の話を読むと、多くのことに気づかれ、またはっとされることと思います。
聴障生にとって読唇術がどんなにしんどいものか。
要領えない冗長な発言がどんなに腹立たしいものか。
板書のない授業がどれほどわかりにくいか。
補聴器をかけても、人間の耳のように万能でなく、先生の声も生徒同士の雑談も全く同レベルで入ってきて、すべて雑音、どんなに判別しがたいものか。
耳が聞こえにくいと、難聴とひとまとめにされてしまうが、 難聴にも千差万別があることなど、数えれば限りがありません。
年月が経つと創造された時代の熱情も苦労も展望も
風化して ただのスローガン
「聴覚障害生にとってわかりやすい授業は、健聴生にとってもわかりやすい授業」
といってまいりました。
これは聴覚障害教育をすすめてゆくときの心がまえであり、目標でありましょう。
誰かがふと思いっいたものでなく、長い実践のなかから、絞り出たことばでしょう。
なんとむずかしい目標でありませんか。
だからこそやり甲斐があるともいえます。
しかし、こんなすぐれたことばも年月が経過しますと、創造された時代の熱情も苦労も展望も風化して、ただのスローガン、人を動かす力を喪失します。
月並み、ただの建前としないことが現在の課題であります。
全教職員の教育実践の記録であります。
この記録の語るものが、少しでも未来への踏み石となればさいわいであります。
(了)
以上は、ある校長の聴覚障害教育に対する校長なりの考えを全教職員はもちろん府民日本の人々にもあきらかにしたものである。
生徒たちや教職員の具体的取り組みを見た未来志向
山城高校の聴覚障害教育には、初代の校長から面々とこの精神は受け継がれてきた。
国際的に著名なサッカー選手を育てた有名な校長も、文章を書くのは苦手だが、と良いながらひと文字、ひと文字、ていねいで素直に山城高校の聴覚障害教育と自分自身の変化を綴ってくれてた。
そこには生徒たちや教職員の具体的取り組み、賛否両論を認めた上で未来志向の提起がされている。
この傾向は、のちのち「創造された時代の熱情も苦労も展望も風化して、ただのスローガン、人を動かす力を喪失」させられてしまう。
過去を切り捨てて インクルージョンなどを
声高に叫ぶ人々へヒューマンな回答を
「創造された時代の熱情も苦労も展望」は記録として残っている。
問題なのは、これらの時代の教訓を見返りもしないでインクルージョンとか、メインストリーミングとか、インテグレーションとかの方法を論じるだけの研究者・教育関係者があまりにも多い。
そしてあっさり、過去はだめで現在は新しい特別支援教育や「発達障害論」を論じ、過去の誤りをくり返そうと、いやくり返している。
このブログで綿々書かせていただいているのは、教育とはインスタントのものではない。
マニュアルさえ作っておけばいい、というものではないということである。
そして、あえて言うならば、
「やさしくていねいなことばの影で、教育にすべてをかけた親子の苦闘を利益対象」
にしていることである。
これらは決して許してはならない。
「 教育にすべてをかけた親子の苦闘」
あるところに通えば文字が書けるようになるとか、特別な指導方法で子どもが良くなるとか、言われてワラをすがる気持ちでタクシー代を数万円使って通う親子の話を聞いて胸が痛むことが多すぎる。
それも○○大と掲げた看板ならよけいに親は信じるだろう。
歴史は過去の誤りを許さないが
それをなくし教育を育てる新しい取り組みが
でも、戦後すぐからこのようなことはあった。
それをくり返してはいけない、ということから障害児教育の公的保障をもとめる運動がはじまり、血と涙の中でと創られてきた教育があまりにも簡単に破壊されたり、破壊されようとしている。
歴史はこのことを許さないだろう。
だが、そのためには過去の血と汗、生死をかけた教育保障運動を学び、新たなる取り組みを創造していかなければならないのが今日的課題だろう。
http://blog.livedoor.jp/kasa0774/archives/24251490.html
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