Once upon a time 1969
後藤さんから来た手紙にこのような返事を書いたことがある。(概略)
お手紙ありがとうございました。後藤さんが、集会の時のスローガンを書いておられるときから、味のある時で感心していました。
私にとって忘れられないのは、「岐阜の手話」です。
あの手話の絵を見たときから、手話とは何かが、心を込められて書かれていることに感動しました。
後藤さんの顔と似てもにつかない(すいません!失礼!)あの手話イラスト。
私は、全日ろう連があのような手話の本を出して欲しいと思いました。「わたしたの手話」は、味気ない。手話とは、あんな表現でないだろうと思います。
まるで最近流行のコンピュータ手話みたいなものがあり、私は非常な反発を感じていました。
重症な病気でどうしようもないとき、全日ろう連出版委員会で、「中学生、高校生向きの手話テキスト」を作成す話が出てきたとき、私は、二度と立ち上がれないだろうと感じていましたので、今までろうあ者の人々から学んだ手話の精神を「中・高生テキストに込めたい」と思うようになりました。
漫画本、脚本、を買いあさりながら、しかもアイラブパンフ運動に寄せられた全国の人々の声
(アイラブパンフの意見集約集は、各県から寄せられて人々の年齢順ですべて掲載していました。だから、その県の意見を順番に読むと、一番若い人から一番高齢な人々の意見が順に読めるようにしていました。時代をくぐりぬけたひとびとが、どのように考えているかを分かるように整理しました。)
の中から、小学生や中学生や高校生の意見を重点的に分析に、彼らがなにを求め、手話になにを求めているのか、聞こえない人々をどのように考えているのかを考え抜きました。
A県の中学生から「聞こえない両親の元で育ち、母を亡くしてからアイラブパンフを読んだ感想」が寄せられ、手話は命と知ったと書かれていました。
この言葉は、中高生テキストの中に組み込ませてもらいました。
友子という聾学校の生徒。健一という高校生の聞こえる生徒。
その二人が少しばかり諍いを起こす。
その二人がそれを考えるために、健一は未就学のろうあ者のことを知り、友子は聞こえない先輩を訪ねる。
このようなストリーは、私が手話を学んだなかから、いや、ろうあ者の人々から学んだ神髄を、若い人々に伝えていこうとしたからです。
そういうことは随所にちりばめながら、話したり、考えたり、手話を学んだりとする中で、時代の若者へのメーツセージを作成したつもりでした。
でも、サブテキストを作成するまでもなく、あの本の完成とともに奈落の底に落ち込む一方の病状になってしましました。
こころ和む、暖かい手話を通した人間愛を手話を学ぶ中で、教えてもらいましたが、今は手話すら出来ない身体になってしまいました。
でも、後藤さんの絵は、私のように身も心もずたずたになった人間に、暖かい、こころ休まるものを贈ってくれます。
どの絵を見ても、私は大好きです。
お金を貯めて、後藤さんの絵を書類だらけで雑然とした机の上に置いて、こころを休める決意をししています。
「与平小屋」いいですね。行ってみたい、です。でも、絵から伝わってくるものがありますし……今はリハビリに努めます。
本当にありがとうございました。
後藤さんの絵は、ほんのりした暖かさとゆったりした気持ちの中から、少しずつぼちぼちすすもか、という気持ちを与えてくれます。
ありがとうございます。
これらのことを契機に後藤さんは、福祉分野の画を描くことになる。
最初は、自由に書きたいと非常な抵抗あるメールが来たが、保育・医療・施設・学校などの画が描かれ、絵はがきや本に掲載されていった。
もちろん、人物はどこにも描かれていないが、使い古された保育園のイスの画に子どもたちの生き生きした姿と思い出が詰め込まれたような印象を受けた。
人間を描かず人間を描く
後藤さんにつくづく感嘆した。
後藤勝美さんについては、以下のホームページをご参照ください。
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http://www.gayukobo.com/
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