2012年3月18日日曜日

後藤勝美さんの絶筆  障害を「障がい」とする意味は


Once upon a time 1969

行政用語 障害を「障がい」とする意味は

           東海聴覚障害者連盟相談役 後藤 勝美

 私の住む岐阜市や岐阜県の福祉課が、課名を「障がい福祉課」に変えた。
 「障害」は「障がい」と公文書に記すそうだ。


 この動きは5、6年前から始まり、岐阜市の調査では、県内8市町、全国でも7道県、4指定市、7中核市に広がる。メディアでも目にするようになった。

 なぜ、急いで「害」を平仮名に?
 そして、なぜ広まるのか。
 なぜ「害」がいけないのか。

 役所に尋ねると、害は悪いイメージがする、負の面を感じる、不快感等がその理由だという。

 果たしてそうだろうか。


 聴覚障害者である私も、「障害」や「障害者」の表記は必ずしも適切とは思っていない。

 障害や障壁に立ち向かう精神を表すような、よい言葉がないかと思う。

 だが、まだ日本語には適切、的確な言葉がない。

 かつて「障礙」「障碍」という言葉がとりざたされたことがある。
 だが、この字も「さまたげる」という意味で適切とは言い難い。
 この社会には、あらゆる面で不便、不自由を強いられている人がいる。
 例えば、目の見えない人は道に物が置かれているために自由に安心して歩けない。
 耳の不自由な人は手話通訳が有料で困っている。
 車いすの人はいつでもどこにもスムーズに行くことができない……。

 マスコミはよく「障害を乗り終えて」と書くが、障害に「負けない」のであって、「乗り越える」のは、ほぼ不可能に近い。

 こうした問題は、社会環境や政策的不備で起きている不自由さであり、それこそが「障害」なのである。

 言い換えれば、そういう人は「社会的被害者」と言えるし、「害」にはその意味が含まれている。

 この被害を取り除いていくことが必要なのだ。

 単なる言語上の問題ではない。

 「害」を平仮名に変えたところで、前述の社会的被害は何一つ変わるわけではない。

 それどころか、その被害をあいまいにし、あげくの果てに「害がなくなった」という風潮を広める危惧を覚える。

 この変更を、障害者を最も理解すべき福祉課が決めた経緯にも、疑問を感じている。

 県や市に尋ねたところ、変更すべきだという意見は、一部の市民からの提案だったという。

 障害者団体の中には反対意見もあったが、当事者の意見を聞いたり議論したりすることに、十分な時間や手間はかけられなかった。

「不快に思う人が1人でもいれば」ということだけでは変更の理由にはならない。

 そんなことよりも「害」を取り除く具体的な施策の方がずっと大事だ。
 これは行政も障害者も万人の共通した認識だろう。

 私は、障がい者にあらず、障害者である――。

 この世に障害が感じられなくなる日まで、言い続けたい。

                   2009年1月23日 朝日新聞朝刊「私の視点」欄

 「障がい者」考で、社会に一石を投じます。
 「障害者」のままでも良いのに、これを同音の「障がい者」と表記されるのは、変ではないでしょうか。
 何も言わないのは、いろいろと問題がありますし、この際、私が投稿することにしました。

  皆様からのご意見をお待ちしております。

 これが、私への最後のメールであったが、今だ涙なしに読めない。

 あれから3年経った。

 みなさんのご意見を故後藤勝美さんへお寄せください。

 ご意見をこのブログに掲載して、後藤勝美さんに捧げたいと思います。

 こころからおねがいします。



後藤勝美さんについては、以下のホームページをご参照ください。
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http://www.gayukobo.com/
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