2012年8月20日月曜日

ええ そんなん あり~ とどよめく英語の授業時間


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


  中学校と同じことをまた同じようにやらさると感じるだろう

  温厚で紳士で知られるある英語のI先生の話は、次のような事からはじまった。

 ABCも書けない生徒たちにABCを教えても興味を持たないどころか、高校に入ったのに中学校と同じことをまた同じようにやらさると感じるだろう。
 昼の学校生活から夜の学校生活に転化しただけでもとまどうのに、いつまでも中学校時代の「劣等感」を抱かせるわけにはいかない。
 かと言って、英語は英語でアルファベットで成り立っている。

 さあ、どうしたらいいものか、と考えた。

    これだ テレビの番組表だ

 その時、生徒たちが見たいテレビが定時制に来ることで見られなくなったとぼやいていることを聞いた。

 これだ、と思った。

 翌日からその日のテレビ番組表を生徒に配って

「この番組表で、英語だと思われるもの(カタカナ・ひらがな・漢字)に○か線を引いてください。」

と「小さなプリント」にして配った。
 最初、テレビの番組表を食い入るように見ていた生徒の表情は、真剣そのもの。これも見たかったし、あれも見たかったし、と思ったのだろう。
 でも、しばらくすると番組表に○や線を引いて、ぽいと置いて生徒同士でしゃべり出した。
 でも、一生懸命見ながら、○も線も引けない生徒は、じーっとプリントを見たまま。


      「わかれへん」

 その生徒のところに行って、「どれが、英語かな」と聞いてみると「わからへん」と返事したまま俯いてしまう。
 そんな時、「これは」と番組表の文字を指さして聞いてみる。


 「わかれへん」
 「英語かな、日本語かな」
 「英語ちがうかなぁ」
 「それなら、○で囲ってみて」
 「うん。その調子。答えが合っていなくても、これかな、と思うものに○して  みて」 
   「うん」


 こんなことがあってその授業のプリントは集める。
 次の授業に、テレビ番組の英語の部分に○をしてあれば、○。

 合ってなければ?をつけて6/25と名前の上に書いて、プリントの下にひと言コメントを書いて渡したた。

  先生 番組表に25も英語がのってるんか

 返されたプリントを見て生徒の中で、どよめきが起きた。
 英語が得意と思っていた生徒は、

「え、先生。番組表に25も英語がのってるんか。」
「これ?となっているけど、何でや。英語とちゃうん?」

 と言い出す。そこで、和製英語であることを説明すると

「ええ、そんなん。あり~」

「じゃあ。英語では何と言うの」

と聞いてくる。

 ここでしめしめ待っていたとばかりに、黒板に英語を書いて、意味を説明する。

 すると、みんな必死になって返されたプリントにその英語を書き出す。

「チェ、英語ばかりと思ってた。だまされた。」  

と言い出す生徒も出てくる。
  

じーっとプリントを見た生徒は、なぜかにこにこしている。後で聞いたら、今まで○をこんなに多くもらったことは初めてだったとのこと。

 そして、授業を初めて、終わる15分前に再びテレビの番組表のプリントを配る。
 「チエッ、これ見たかったなあ」と言いながら、生徒は2回目になると必死になって番組表を見て印をつけ初め、チャイムが鳴っても「先生、ちょっと待ってもう少しや」と言う生徒が出てくる。
 

  これが、英語のI先生のやり方だった。
 プリントに印をつけている間に一定の援助が必要な生徒や聴覚障害生徒にアドバイスが出来るゆとりが出てくるし、授業も静かになって生徒の目が真剣だ、とハッキリ解って来る。
 そうすれば、次の段階へとすすむ。


1956年7月5日 山城高校定時制生徒会文芸部「夜学生の詩17号」より

     訴え

 ぼくが入学した時
 先生はおっしゃいました


「ここでは昼も夜もない
 みんな同じだ
 だから卒業証書にも
 山城高校卒業とあるだけで
 定時制とは一つも書いてない
 ただ
 時間数の関係で
 三年が四年になっているだけだ」

 

 でも
 僕達は
 本当に山城高校の生徒なんでしょうか

 六時になっても
 運動場も
 体育館も
 中庭も
 みんな昼の生徒に占拠されている
 だから暴力事件が起こって
 停学になる友達が出来るのです

 

 給食のうどんを食べに行ったら
 すうどんしかありません
 いや
 時にはそれも売切れです

 昼の人が帰りによって
 みんな食べて帰るからです
 僕達は
 外へ食べに行くひまはありません
 次の時間に遅れるからです
 九時になっても
 先生のお話を聞いていると
 グーッとおなかが鳴ります


 これでも
 「昼も夜もない
  みんな同じ」なんでしょうか

 

 僕は
 山城高校のママコであっても
 本当の子どもではないような
 気がしてならないのです


0 件のコメント: