教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(38)
ろう学校高等部の病休講師の依頼が
京都ろう学校から山城高校定時制の教師にきわめて短期間であるが、聾学校から高等部の病休の先生の講師としてろう学校で授業をしてくらないかとの依頼があった。
短期間の臨時講師が見つからないで困っているからというのがその理由だった。
校長も定時制の主事(当時の名称)も、ろう学校との連携のために短期間でも講師を引きつけたら良い。京都府教育委員会へ手続きは、管理職がするからという話だった。
どこでもいい。教えたいと思うところから教えたら
そこで、昼はろう学校で、夜は高山城高校の夜間定時制課程で教えるという経験をしたが、驚いたことがひとつあった。
病休に入られた先生が、教科のどこまで教えられていたのか、どのような方法でやっていたのか、と常識なことを聞くと
「どこでもいい。教えたいと思うところから教えたらいい。」
「でも、生徒にしたら突然来た講師が、前に習ったことと同じことを授業でしているとなると気の毒だ。」
「だから、どこまで教えたのか知らせてほしい。」
と言うと
「どこまでとか、何を教えるか、とかそんなことはないからともかく授業してくれさえしたら言い。」
として言うだけだった。
同一の教科を同時期に障害児学校と山城高校定時制で
そのためやむを得ず、同一の教科を同時期に障害児学校と山城高校定時制の授業を教えることとなった。
その頃は、私が教えていた山城高校定時制ではほぼ全員の教師が、
「楽しい学校 わかる授業」
という目標を掲げ、それぞれの教師がそれぞれの方法で「わかる授業」を追求していたからである。
学力の著しい差異のある生徒に対して、一律的にある水準を決めて、それに合わせて「わかる授業」を展開していたのではなかった。
読み書きが出来ない生徒がいるのは
あたりまえという中での授業の創造
読み書きが出来ない生徒はもちろん、小学校や中学校の通えてない生徒やあらゆる病気や障害のある生徒たちに「わかる授業」を展開するのは並大抵のことではなかった。
さらに再入学してくる成人の生徒、教師より年上の生徒、暴走族で大けがをしたり、暴力団の手下の生徒などあらゆる年齢、職種(?)、無職の生徒の授業を教えるためのてだてをしていた。
山城高校定時制方式のプリント
そのため多くの教師が「手作り教材」を毎時間作成して、それを基に授業をすすめていた。
いわゆる「山城高校定時制方式のプリント」である。
このことの経過は、以降少し詳しく述べたいが、ともかく「手作り教材」を携えてろう学校の授業に臨んだ。
特に「山城高校定時制方式のプリント」は、字ばかりのものでは最初から生徒が拒否反応を起こすので、先生がたはイラストを入れたり、短編私の初恋なども「山城高校定時制方式のプリント」に入れたりしていた。
単なるプリントではなく
生徒を変え 教師も変えるプリント
読み書きが出来ない生徒は、プリントのイラストを楽しみにしていた。
それは、イラストを写す楽しみの時間であったからである。
しかし、いつしか授業に集中するようになり、プリントの答えは書けないけれど、プリントの文字のすき間に同じ文字を書き写すようになり、多くの時間がかかったが卒業する頃になるとプリントの問いにきちんとした答えを書けるようになって教師を驚かせた。
教師間では、「山城高校定時制方式のプリント」は、単なるプリントではなく生徒を変え、教師も変えるプリントであることが確認されるまで多くの月日がかかった。
ハッと気がついた
ろう学校高等部生徒の矢継ぎ早の質問と生徒同士の討論
でも、教師の準備と授業後の生徒ひとりひとりのプリントを読みとる仕事はかぎりない時間がもとめられた。
私の場合は、出来るだけ写真や図面を入れたプリントをつくった。
ろう学校では、山城高校定時制の授業で使っていた「焼き畑農業」をとりあげた。
山地の森林や草を燃やして栽培する話をはじめると、ろう学校高等部の生徒から次々質問が出てきた。
「山地を燃やした人が焼け死ぬ」
「平らなところでなで畑を作らないのか」
「なぜ、山を焼くの」
「焼くのはナゼ」
「怖くてそんな畑ようつくらん。」
「焼いた後にどんなことするの」
「何をつくるの」
「稲も作る。ウソやー。水がないのにナゼ稲がつくれるの」
「作った米は、私らが食べている米と同じ?」
「一度食べてみたいなあ」
次から次への質問と、生徒同士の意見のやりとりであっという間に授業時間がすぎた。
定時制での授業の3分の一もすすまなかった。
この時、ハッと気が付いて山城高校定時制の教職員の教育研究の場で問題を提起した。
「もっと、生徒同士の意見を出し、生徒同士が論議し合う授業が必要ではないか」と。
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(38)
ろう学校高等部の病休講師の依頼が
京都ろう学校から山城高校定時制の教師にきわめて短期間であるが、聾学校から高等部の病休の先生の講師としてろう学校で授業をしてくらないかとの依頼があった。
短期間の臨時講師が見つからないで困っているからというのがその理由だった。
校長も定時制の主事(当時の名称)も、ろう学校との連携のために短期間でも講師を引きつけたら良い。京都府教育委員会へ手続きは、管理職がするからという話だった。
どこでもいい。教えたいと思うところから教えたら
そこで、昼はろう学校で、夜は高山城高校の夜間定時制課程で教えるという経験をしたが、驚いたことがひとつあった。
病休に入られた先生が、教科のどこまで教えられていたのか、どのような方法でやっていたのか、と常識なことを聞くと
「どこでもいい。教えたいと思うところから教えたらいい。」
「でも、生徒にしたら突然来た講師が、前に習ったことと同じことを授業でしているとなると気の毒だ。」
「だから、どこまで教えたのか知らせてほしい。」
と言うと
「どこまでとか、何を教えるか、とかそんなことはないからともかく授業してくれさえしたら言い。」
として言うだけだった。
同一の教科を同時期に障害児学校と山城高校定時制で
そのためやむを得ず、同一の教科を同時期に障害児学校と山城高校定時制の授業を教えることとなった。
その頃は、私が教えていた山城高校定時制ではほぼ全員の教師が、
「楽しい学校 わかる授業」
という目標を掲げ、それぞれの教師がそれぞれの方法で「わかる授業」を追求していたからである。
学力の著しい差異のある生徒に対して、一律的にある水準を決めて、それに合わせて「わかる授業」を展開していたのではなかった。
読み書きが出来ない生徒がいるのは
あたりまえという中での授業の創造
読み書きが出来ない生徒はもちろん、小学校や中学校の通えてない生徒やあらゆる病気や障害のある生徒たちに「わかる授業」を展開するのは並大抵のことではなかった。
さらに再入学してくる成人の生徒、教師より年上の生徒、暴走族で大けがをしたり、暴力団の手下の生徒などあらゆる年齢、職種(?)、無職の生徒の授業を教えるためのてだてをしていた。
山城高校定時制方式のプリント
そのため多くの教師が「手作り教材」を毎時間作成して、それを基に授業をすすめていた。
いわゆる「山城高校定時制方式のプリント」である。
このことの経過は、以降少し詳しく述べたいが、ともかく「手作り教材」を携えてろう学校の授業に臨んだ。
特に「山城高校定時制方式のプリント」は、字ばかりのものでは最初から生徒が拒否反応を起こすので、先生がたはイラストを入れたり、短編私の初恋なども「山城高校定時制方式のプリント」に入れたりしていた。
単なるプリントではなく
生徒を変え 教師も変えるプリント
読み書きが出来ない生徒は、プリントのイラストを楽しみにしていた。
それは、イラストを写す楽しみの時間であったからである。
しかし、いつしか授業に集中するようになり、プリントの答えは書けないけれど、プリントの文字のすき間に同じ文字を書き写すようになり、多くの時間がかかったが卒業する頃になるとプリントの問いにきちんとした答えを書けるようになって教師を驚かせた。
教師間では、「山城高校定時制方式のプリント」は、単なるプリントではなく生徒を変え、教師も変えるプリントであることが確認されるまで多くの月日がかかった。
ハッと気がついた
ろう学校高等部生徒の矢継ぎ早の質問と生徒同士の討論
でも、教師の準備と授業後の生徒ひとりひとりのプリントを読みとる仕事はかぎりない時間がもとめられた。
私の場合は、出来るだけ写真や図面を入れたプリントをつくった。
ろう学校では、山城高校定時制の授業で使っていた「焼き畑農業」をとりあげた。
山地の森林や草を燃やして栽培する話をはじめると、ろう学校高等部の生徒から次々質問が出てきた。
「山地を燃やした人が焼け死ぬ」
「平らなところでなで畑を作らないのか」
「なぜ、山を焼くの」
「焼くのはナゼ」
「怖くてそんな畑ようつくらん。」
「焼いた後にどんなことするの」
「何をつくるの」
「稲も作る。ウソやー。水がないのにナゼ稲がつくれるの」
「作った米は、私らが食べている米と同じ?」
「一度食べてみたいなあ」
次から次への質問と、生徒同士の意見のやりとりであっという間に授業時間がすぎた。
定時制での授業の3分の一もすすまなかった。
この時、ハッと気が付いて山城高校定時制の教職員の教育研究の場で問題を提起した。
「もっと、生徒同士の意見を出し、生徒同士が論議し合う授業が必要ではないか」と。
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