教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
いろいろあったけど やっぱり好き
努力すればよくわかるようになって
私は高校受験に失敗ばかりしたので、中学校の先生は心配していました。
けれど山城高校定時制に入れたので、中学校の先生は、
「よかったね、おめでとう。」
「高校に入ったら人に負けないように努力して勉強をして下さい。」
と言われました。
入学式で、みんなを見ると知らない人ばかり。
自己紹介をしてもらい新しい友達ができるようになりました。
クラス担任は、女の先生で、古典を教えてもらいました。
授業はプリントだけで勉強したり、説明があったり、努力すればよくわかるようになっていました。
また、H.R.もたのしく、色々なことをする中で友達をつくることができました。
高校への通学は、毎日4時すぎに自転車に乗って登校し、授業が終わってすぐ帰っても10時すぎ。
「早く帰りなさい」と親に言われても、友人との話はたのしく、つい遅くなってしまいました。
自分がやってバカにされると困るという気持ちがあったけど
夏休みにクラスの人とキャンプへ行った時友人が「M君、班長になって……」と言うのです。
自分がやってバカにされると困るという気持ちがありましたが、自分でやろうと気持ちをかためてやってみると、みんなが私のことを認めてくれました。
それが、多くの友人をつくることのキッカケになりました。
なぐってしまった 一言いったらすむのに

2学期になってから、体育の授業でサッカーをやりました。
私が一生懸命走っているとK君が、私の足をわざとけってきたのです。
(私はそう思えたもので……)授業が終わって、きっとK君が私にあやまるだろうと思っていたのに、K君は私にあやまりませんでした。
そのため、教室へ帰ってからK君をなぐってしまいました。
「なんでけったんや」
と私が一言いったらすんでいたのに、K君をなぐってしまった。
そのため先生から厳しく注意され、反省文を書きました。
私は、高校はきびしいなあ……と思いました。
自分の意志を通じさせるため 知らず知らずに暴力を
小学校から中学校まで難聴学級で学んできましたが、その時の生活は、毎日が
「たたいたり、どなったり、物をなげたり」
で意志を通じ合っていました。
そのこともあったのか、私は、自分の言っていることが相手には聞きとれずにいることを考えない、自分の意志を通じ合うため、手をだして(暴力)しまったのです。
2年生になって、大学生協とパン屋にアルバイトに行くようになり、楽しい思い出がたくさん出来ました。
サンドイッチを作らせてもらったり、サラダも作ったり、クリスマスには残ったパンを家へどっさり持って帰り、近所に配って歩いたり……。
良く知ってほしいと思う気持ちと言葉が不足している自分
でも3年生になって、またOさんをたたいてしまう事件をつくってしまいました。
良く知ってほしいと思う気持ちと、言葉が不足している自分。
つい相手の言いなりになるが、手がでてしまう………
もっと言葉を覚えて話し上手にならないと…
と強く反省しました。
色々とあったけれど 夜勉強することがイヤでなかった
4年生になって、歯科技工士になろうと思ったりしましたが、食品衛生専門学校入学がすんなりと決まり「ホッ」としました。
色々とあったけれど、夜勉強することがイヤでなかったし、私はやっぱり山城高校の定時制が好きです。
Esperanza
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