教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
※ 48年前のろう学校高等部の生徒たちは、先生の言ったことのおかしさを感じ必死に日記を書いていた。
すでに例をあげたようにこれらの日記はすべてのろう学校高等部の生徒が綴ることが出来たわけでもない。
だが、みんなと必死に話し合い、「そうだ そうだ」と一致したことをそれぞれの想いで書き綴っていた。
文章として十分書けなくても。
ろうあ協会は、文章として書けていることを資料集に入れているが、充分話せない、書けない生徒たちの思いも含めて日記が書かれていることから、いくつかの解説を加えて行きたい。
夜道に佇み帰宅を待った親の怒りにも守り抜いた約束事
なお「写生会拒否」事件を前後して、高等部生徒の帰宅が遅く、早朝学校に行くとことが続いた。男女生徒とも親からそのことを案じて叱責を受けたが、誰ひとりそのわけを言わなかった。
特に、ろう学校に通うのに2時間以上かかる生徒もいたが、女生徒の親は心配で夜道に佇み帰宅を待った。
その理由が、学校長の通知で知ったときに、親のほとんどは激怒した。
どこにも行けないわが子の教育を受け持っていただいている先生に刃向かうなんて、と。
これらは、事件後、多くの親から聞いたが、親でさえ生徒の行動を理解できなかった。
ウソを見抜いた力の形成
「学校の決めたことを拒否することは出来ない」
M主事は高等部入学の時の誓約書をもち出しこういった。
「学校には学校の規則がある。
生徒側が学校の決めたことを拒否することは出来ない。
自主性のはきちがえである。
君達は入学した時、学校の規則には反しませんと印をおした。
ここにある。……」
「学校をよくするためにはもっと先生達と生徒がお話したい。
この問題がおこらない前に相談したいと思っていたところが、その前に問題が起こった。……」
こんなこと真赤なウソだ。
話し合いたいといっても口だけで何にもやらなかった。(以下略)
※ 生徒の直感と感性は、すごいものがある。誓約書の学校の規則、とは「学則」のことだろうが、学則は、学校が作って教育委員会の承認で作成される。
そこには、入学、転学、などや教育課程と卒業条件等々のことが書かれている。
処分という項目があるが、これはあくまでも学校教育法に基づいたものである。
従って、当時の京都府立学校の学則には、「学校には学校の規則がある。生徒側が学校の決めたことを拒否することは出来ない。」ということは書かれていないし、その根拠はなにもなかった。
先生自身が、規則を守る、決めたことを守る、ことをしてないではないか、と生徒たちは見抜いていた。だから、 M主事の言ったことに何ら動じることはなかった。
この高等部生徒の自主性と判断の高さには、驚くばかりである。
「首謀者」さえなんとかしたらとする甘い考え
次に高等部のF先生は、次のようなことを言ったことが日記に綴られている。
「前の水曜日の時、バカヤローといったのは、皆に言ったのではありません。
O君個人にいったのです。
僕がその時こうふんして、怒ったことについては反省しています。すみませんでした。
しかし、プリントに首にせよと書いたり、特定の先生の名前を明記したことは名誉キソン罪です。
あのビラは思いもかけない所にまで流れました。
例えばろうあ協会等です。
この件についてはO君も謝ってくれました。
しかし、謝罪文を書いてほしい。
これは高等部の決定です。
私個人の意見ではありません。」
※ 生徒会長を切り崩せれば事態は、収束する、というろう学校高等部の先生の意図は明白である。
だが、残念なことに高等部の教育方向の反省もないまま「首謀者」とされるO君だけに謝罪文を求めることに高等部の教職員が一致したこと自体非常に残念ことである。
後々、全国的に有名になったI・N先生も高等部の教員だった。
学校外でいろいろ言えても、学校内で意見を言うことが出来ないでいた教師。
それを生徒自身が着実に乗り越えて行く。
ろう学校の無責任に起因 本質は
僕達のみでなく、全べてのろうあ者に対する差別
写生大会拒否事件よりニカ月目をむかえた。
が、学校側からは何の返事もない。
12月17日からは一カ月をすぎているのに、だいたい先生方は非常識なのではあるまいか。
今日も又、みんなの不満げな、苦しむ姿を見なければならない。
改善を加えていくとおっしゃったが、何が改善されたのか僕にはわからない。
ある先生はあたたかく教えて下さっているが、これは学校側が改善を加えた結果とは思えない。
それは、その先生個人が反省し、私達を国民の一人としてその権利を尊重して下さっている結果だと信ずる。
僕達は今回の事件は、ろう学校の無責任に起因していると見 その本質は、僕達のみでなく、全べてのろうあ者に対する差別であるという認識に立つようになった。
ろう学校八十年間の放任と、最近の学校運営
社会的欠陥がしわよせが導火線となった
その真意は、昨年突然に問題化したのではない、ろう学校八十年間の放任と、最近の学校運営、社会的欠陥がしわよせされ、今回の事件の導火線となったのである。
はっきり断わってある「人はにくまないが態度をにくむ」
先生方は
「君達の気持は頭が痛くなるほどよくわかっています。今後明るい学園にするため一層努力をします」
という、これだけの回答で、事件は円満に解決した。
済んだ、済んだ、の一点張りで生徒側を納得させ、問題が拡大するのを防こうとされた。
つまり傷口にドロをぬってかくしてしまおうとされた訳だ。
私達は、これは学校全体の問題であるという立場にたっていたが、別に学校中を混乱にまきこみ、無茶苦茶にしたい等とは考えてはいなかった。
そこで、一応、学校を平穏にするため、ビラを無断で作成、配布したこと、先生の名前を入れたこと、写生会を拒否したことの非を認め謝罪、反省した。
しかし、一時の混乱をさけるために謝罪したとはいえ、僕には何故無断でプリントを配ったこと、特定の先生の名前を入れたことがいけないのか、いくら考えても理解出来ない。
理由は憲法には言論の自由が保障されているし、
「人はにくまないが態度をにくむ」
と、はっきり断わってあるからだ。
( つづく )
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