教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
この間連載で、新採5年目の国語教師の取り組みと、山城高校定時制に来て「すべての人々が健康に」という課題に取り組んだ養護教諭の当時と現在の報告を掲載した。
山城高校定時制にいた時の養護教諭が
「すべての人々が健康に」
という課題に取り組んでいることについてや生徒たちに対する接し方に、集中的な批判をされた時があったし、今もそれも残っているという。
保健室は「生徒を甘やかせている。」という批判
特に保健室は「生徒を甘やかせている。」という批判は依然強いらしい。
これに対して養護教諭は、こう言う。
「いろいろな悩みを抱えてくる生徒の中には、病気や学校や家庭や人間関係で悩
んでいる生徒がほとんど。」
「でも、保健室によく来る生徒は、中退や原級留置になる生徒はいない。」
「一部では、ドロップアウトする生徒は、学校や教師の生徒に対する理解が欠落しているからだ、と言い切る研究者もいる」
「私たち養護教諭としては、まず生徒を受け入れる。
ただそれだけですましてはいない、受け入れながら、何が問題か、何が課題か、を考えて行動する。」
「そして、例えばある教科がまったく解らないことが、その生徒がイライラし、問題を抱えていることが問題だと分かるとその教科の先生に補習をお願いする。けれど……」
「俺あんな教師の顔も見たくない、と反発する生徒には同じ教科の先生に補習をお願いして、徐々に教えてもらっている教科の先生に補習をしてもらうよう準備をしておく。反発していた生徒も担当の教科の先生の補習が受けられるように生徒と一緒にお願いする。」
「最近は、勉強しすぎて、頭が痛いと言うようになっている。」
そんな取り組みもしている。
保健室は甘やかしてもらえるとこと違うんや
エネルギーためて課題に立ち向かうとこや
「先生!俺天才違うかなあ。5点しかとれなかったテストが、ちょっと勉強しただけで数十点取れるようになった。と息を切らせて保健室にやってくる。」
卒業生が来たら、保健室に来て保健室に居る生徒たちに話しかける。
それが生徒たちのこころにすとんと落ちることが多い。
「クラスでゴチャゴチャあって保健室にきたんやろ。今のうちの会社にも保健室なんかないで。働いたらそんなものや。」
「保健室がなかったら、卒業も出来なかったし、大学にも行かれへんかった。あのな。大学には保健室なんてないよ。今のうちにエネルギーためとけよ。」
「保健室は、甘やかしてもらえるとこと違うんや。エネルギーためて課題に立ち向かうとこや」
高校ににやってくる卒業生は、まず保健室に来て、いつも同じような話を在校生にしている。
保健室はいつも笑いがある。笑い声に癒やされる。でも、職員室に行ったら
養護教諭の研究会で、年間15回以上保健室に来る生徒たちの進路を話す機会があった。
私たちの学校では、年間15回以上の生徒はあまりにも多すぎた。でも、15回以上と特別に50回以上保健室の生徒の進路状況も調べてみた。
すると全員、進級、卒業していた。多の高校ではそうではないいことに驚いた。
生徒たちの中には
「保健室はいつも笑いがある。笑い声に癒やされる。でも、職員室に行ったら笑い声がない。」
「大学に入ったけれど、養護教諭になりたいので専攻を変更するわ。」
という卒業生も出てきている、という話である。
学校や教師やひとりひとりの教職員がどのような方向に向かって進んでいるか。生徒たち全員が大切にされているかが、今日、一番求められていることである。
だから、○○の障害児が普通校で受け入れられた。入学が認められた、と話題になるが、その学校全体の動きや方向は問題にされない。
最初と結果だけが問題にされる。
だが、その間が大切なのである。
ひとりの障害が「大切にされて」いたとしても、他の生徒が蔑ろにされていたのでは、生徒間の理解も生徒の平等感も育たない。
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