教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
人に言えないけれど孤独
「もっと聴覚障害生徒の友だちがほしい。」
「聴覚障害は自分だけというのは、人に言えないけれど孤独。」
そういう気持ちは、潜在的に普通校の聴覚障害生徒にありました。
「でも、聴覚障害だから周りの人は親切にしてくれるけれど、同じ聴覚障害の生徒と会ったら、甘えることは出来ないだろうなあ」
という不安もあったようである。
対立的にとらえがちになる中で
彼等はその対立の「壁」を一つ一つとりのぞいて
山城高校では、そういう聴覚障害生徒のことを考えていましたが、全日制の聴覚障害生徒から要求が出てきました。
それは、他校の聴覚障害生徒と交流したり、訪問したり、定時制の聴覚障害生徒と出会うために時間のズレを克服するしようと言うものでした。
定時制の聴覚障害生徒は、午後五時半頃登校。全日制の聴障生は、家が遠距離のこともあり、遅くても四時頃下校。
そのため「交換ノート」を作成し、互いの悩み、希望をつづり交換してゆきます。
全日制生徒と定時制生徒をともすれば対立的にとらえがちになる中で、彼等はその対立の「壁」を一つ一つとりのぞいてゆきました。
京都聴覚障害高校生交流会が作られ
悩みや要求・レクリェーショソなどが
全日制で聴覚障害生徒の仲間がないときは、全日制というワクにとらわれず定時制や他校の聴覚障害生徒と交流して、聴覚障害生徒の集団を形成してゆくという新たな取り組みがすすめられ、それが各々の「学校間格差」と言われているものに立ち向かって友情を暖めていった。
このような中で、京都の公立の全日制・定時制や私学の聴障生が集まり、京都聴覚障害高校生交流会が作られ、悩みや要求・レクリェーショソなどが行なわれるようになってきた。
また聴覚障害生徒の親を中心とした京都難聴児親の会、聴障児が入学している幼稚園・小学校・中学校・高校・難聴学級・ろう学校の教師を中心とした「京都聴覚障害研究会」などが作られてきた。
この生徒・親・教師の三つの集団の確立は、山城の聴覚障害教育のみならず、京都の聴覚障害教育全般をすすめてゆくうえで大きな推進力となってきている。
聴覚障害生徒たちの豊かな発達をめざす取り組みは、教師・父母の集団に援助されはぐくまれながら成長してきた。
深く心に刻み込まれる青年期のこと
そのことが、卒業した聴覚障害生徒同士ですべてがすべて出ないけれど、10年、20年経ってもお互いが「窮地」になると、行動し、助け合うことがあたりまえのようになっている。
仕事を辞めざるを得ない、転勤を強要された、障害福祉の援助が受けられない。
など、あらゆることに対して私心を捨て行動する姿を見るにつけ青年期の取り組みの重要性が深く心に刻み込まれる。
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