教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
楽しい野球を生徒に教えた先生
山城高校定時制では、全日制と違う動きだった。
聴覚障害生徒は、クラブ活動に参加したけれど、特に野球部に多く所属していた。
野球部の監督・顧問の先生は、必要なときはピシャリと言うが、生徒の自主性をことのほか大切にして「楽しい野球」を生徒に教えていた。
野球部に聴覚障害生徒が入部したときも、特に他の健聴生徒に聴覚障害生徒の状況についてあれこれ言わずにじっくり見守る先生だった。
先生は、責任感や正義感が強く、ことのほか弱いものをいじめることに対して厳しい注意をしたが、それ以外はランドの最終点検をして定時制の中でも一番遅く帰る先生だった。
グランドの土に字を書いて「筆談」
野球部員は、なんの気兼ねもなしに練習をしていたが、時々食い違うことが起きる。
そんな時は、照明が十分でないため一番明るいバックネットの前に集まり、グランドの土に字を書いて「筆談」をした。
野球部員には、ろう学校から来た生徒も多く、「筆談」を読んで、手話で聴覚障害生徒同士に連絡し合っていた。
「?」と思ったのは、健聴生徒だった。
聴覚障害生徒のする手話を見て、自分たちも同じ動きをした。
「イケー」「ヒキカエセー」「ハシレー」
「なんだ簡単じゃないか」
クラブ員は、次から次へと手話を覚え始めて、野球のサインと手話を「合成」していった。
神宮球場より お互いの気持ちが通じ合うことの喜びのほうが
他の定時制との野球部の試合。
山城高校の定時制の野球部は、へんなサインをしているぞ、と思ったらしいが、なんの「サイン」かまったく解らなかった。
そうするうちに、チームワークと連絡が密に取れる山城高校の定時制の野球部が次々点数をとる。
今までとはまったく違う様子にとまどった、との話は野球部の顧問会議ででた、との報告があったのはしばらくしてからのことだった。
定時制の野球部の甲子園は、神宮球場だった。
これなら、行けるかも知れないと思われたけれど、野球部員はお互いの気持ちが通じ合うことの喜びのほうがはるかに大きかったらしい。
なるほど うまいこと表現する
だが、練習やお互い帰宅途中の食事時に、どうしても食い違うことがある。
健聴生徒も聴覚障害生徒もそのように考えはじめだしてきた。
この時、野球部の監督・顧問の先生は
「聴覚障害教育担当の先生と相談したら」
とアドバイスした。
健聴生徒と聴覚障害生徒がそろって相談に来た。
じっくり話を聞いてみると、ろう学校から来た生徒は
「ろう学校の生徒同士が通じ合う手話」
しかしらないことが解ってきた。
そこで、野球は昔からろうあ者の楽しみのスポーツであったので、いろいろな野球に関する手話表現があることを紹介した。
「なるほど。うまいこと表現する」
と感心したのは、健聴生徒だけではなく、聴覚障害生徒も同じだった。
簡単。明瞭。
野球の本質をここまでつかんで手話表現できるのか、感激したらしい。
「こんな表現もある」「あんな表現もある」と教え
それから、たびたび、質問されることが増えたが、その度に「こんな表現もある」「あんな表現もある」と教えた。
決して一つだけの手話表現は教えなかった。
若い世代は、いろいろな表現にとまどうことなく、すぐ「これだ。」と今自分たちに必要な手話表現を取り入れた。
それから、手話表現は、どんどん豊かなものになり、健聴生徒と聴覚障害生徒の絆は強まる一方になった。
これが、山城高校定時制での手話学習の広がりの原動力になった。
0 件のコメント:
コメントを投稿