教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
してもらう聴覚保障ではなく
山城高校では、聴覚障害生徒の受け入れにあたって「聴覚保障」という柱を立てた。
でも、この聴覚保障は、聴覚障害生徒が「してもらう聴覚保障」ではなく「自ら聴覚保障を要求し、みんなと手をつなぐ聴覚保障」をめざした。
それは、入学してきた聴覚障害生徒が、誰か周りの人がしてくれる、してくれてあたりまえだ、という考えが強く、自ら友人と協力して友人も助け、自分も助けられる、という考えが強かったことにも原因していた。
手話が学ぶきっかけは 女子バレー部
山城高校で、手話が学ぶきっかけはクラブ活動だった。
全日制の場合は、女子バレー部に聴覚障害生徒が入部した。
バレー部全員は大歓迎した。
だが、クラブの時には、聴覚障害生徒は補聴器を外す。
チームワークだから、打ち合わせをしたり、このボールは私が……などの場面がしばしばある。
それが、スムースに行かない。クラブ員は全員悩んだ。
手話なんて私に必要ない いやや
その時、手話でコミニケーションをとる方法があるとある健聴生徒が言い出して、聴覚障害担当の先生やクラブで必要な合図(サイン)を考え出していった。
ところが、そのことに対して聴覚障害生徒が激しく抵抗した。
「手話なんて、私に必要ない。いやや。そんなんしたくない」
と言い出した。
びっくりしたのは、健聴生徒。
手話って十分知っているわけでもないのに、少し覚えてクラブ活動で生かそうと思っていただけなのに。
なぜ、聴覚障害生徒は、極端に嫌がるのだろうか。
みんなで考えはじめた。
汗や雨に濡れても水泳も出来る
補聴器があったらいいのにねぇ
でも、解らない。
そこで聴覚障害生徒にゆっくり聞いて、話合ってみることにした。
口話法で育ったこと。
補聴器を使わなくなると補聴器に慣れなくなって、みんなの声の聞き取りが出来なる心配があること。
熱心に聞いて、みんなで考えた。
「汗や、雨に濡れても、水泳も出来る補聴器があったらいいのにねぇ」
心を砕いた話。
聴覚障害生徒も信頼して、今まで哀しかったこと、苦しかったことをすべて話した。
手話って言わんと サインだけ決めとこう
健聴生徒の中には、そのことが手話に対する反発になっていることに気がついて、
「別に手話って言わんと、サインだけ決めとこう」
と言い出した。
そして、聴覚障害生徒一緒に必要なサインを決めた。
みんな練習も、試合も楽しかった。
聴覚障害生徒もその渦の中にいて、聴覚障害を全然意識しなくなった。
試合やクラブの会話。
身振り手振りの会話が、知らず知らずのうちに手話表現になっていた。
忘れてたわ 手話なんかしたくないと言ったこと
「あんた。手話きらいといってへんかった?」
ある日健聴生徒が、聴覚障害生徒に聞いた。
「そうやった。忘れてたわ。そんなことこだわらへん。話し合えたらいいのや。前、あんなこと行ってごめんなぁー」
「かまへん、かまへん。気にせんときやー」
そこでみんな大笑い。
コミニケーションとれるなら何でもいい、友だちになれるなら何でもいい、拘らない。
いつしか、女バレー部のメンバーが、山城高校で手話の出来る生徒となり、クラブ以外の学習でも聴覚障害生徒と協力し合うようになっていった。
これが、山城高校の全日制における生徒の手話学習のはじまりだった。
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