教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
お母ちゃん、あれなあに?
山城高校2年
お母ちゃん、あれなあに?
僕がろう学校幼稚部に通っていた時のことです。
学校を終えいつものように母と二人で帰ろうとしていたら、高校生らしき人が、同じように帰ろうとしているところでした。
そのときあることに気がついたのでした。
その人たちは何か身振りを使い、手をよく動かし表情もオーバーなのです。
「お母ちゃん、あれなあに?」
と母に聞いたのです。
「ああ、あれはね、手話っていうのよ。」
と母は言いました。
小さい自分には何もわからないまま、ただ手話とはああいうもんなんだと感じていました。
何だ、これ
その後小学校に入学したころでした。
母の部屋に入りあちらこちらをさがしていると、手話の本が出てきたのです。
「何だ、これ」
とその本を広げてみると、真っ先に手の絵が出てきました。
「1」はひと差し指で表すとか書いてありました。
なるほどと思い、その場は夢中になって1から9までを覚えていました。
それから長い間、手話の事をたまには見かけたり耳にすることはあったけど、自分とはほと遠いものでした。
僕の周囲では、健聴者が多いという事情(環境)もあってか、話はあまり必要じゃなかったのかもしれません。
僕以外の聴覚障害生徒と話すには、手話も必要だ
ところが山城高校に入学することになって、初めて僕以外の聴覚障害生徒と接し、手話に再び出会いました。
それに彼らと話すには、手話も必要だということもわかりました。
それで彼らと話しているうちに、手話をだんだん覚えることができて今では片言ですが、何とか手話だけで話すこともできるようになりました。
手話というものを少し使えるようになると、次に何のために手話を使うのかということが気になりました。
今まではただ、僕以外の難聴生やろうあ者としゃべってみたいというだけで、何となく手話を覚えているようなものでした。
でも本当に手話を使う意味を考えるとなると、本当に難しいことだとあらためて考えさせられました。
難聴者やろうあ者の人は一般の人に比べ会話が困難であることも 十分に理解し、手話を覚えることが大事
今でも結論らしきものは出ていません。それを悟るには10年は早いでしょう。
ただ言えるのは、難聴とかろうあとかそういう障害を持っている人がいなかったら、手話というものはありえなかったということです。
難聴者やろうあ者の人は一般の人に比べ会話が困難であり、彼らにとって、手話は一種の情報伝達をする方法なのです。
聴覚障害者以外の健聴者もこのことを十分に理解し、手話を覚えることが大事です。
それは相手と話すとき、相手にとっても自分にとっても話しやすい情報伝達の方法を使ったほうが、会話も進むからです。
僕はこう考え、そして手話を覚えてゆきたいと考えています。
これは山城高校手話弁論大会で聴覚障害生徒が、高校生以外の多くの人々の前で手話を交えて話した時の記録である。
なぜ、山城高校でこのような手話弁論大会が開かれるようになったのか、それには深いわけがある。
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