教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
1973年1月和歌山県で開かれた全国教育研究集会で京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の教職員が、障害児教育分科会で高野小学校との交流という内容でレポート発表した。
その時、全国教研の障害児教育分科会の共同研究者として故田中昌人先生が、「交流」「共同学習」という京都・舞鶴盲分校・聾分校のレポートに対して、共同教育として高めていく課題として指摘された全文を紹介します。
共同教育とはなにか 共同教育の方向は
「 共同教育は、学習する権利の平等性をふまえ学習する内容における普通教育としての普遍性を前提として、障害児が学習上の基礎集団をもちつつ、必要な新しい仲間と共同に学び合つ教育機会を保障する教育活動である。
そこに必要な複数の集団の保障と、民主的な見とおし路線の形成と必要な諸科学の総合的発展を現実のものにしてゆく活動の芽がある。
従って、ここに言う共同育教は、集団の単なる分解合成であってはならないーとして、
中教審路線にある適応教育・統合教育を実践的に克服してゆくこと、
教職員が地域や学校の民主化をすすめつつ、子ども集団の民主的発展にとっ て必要なときに、注意ぶかく準備された共同活動が必要なのだということ、
共同活動は、子どもたちが自覚的に、文化継承の基礎になる活動を追求しは じめるとき成果をあげてゆくということ、
従って、教職員がこれを共同の事業として、年次計画をたてて取り組み、それをはばむものには、共同の反撃を加えてゆく規律が必要であること」(1973年1月)
なにを言っているのかさっぱり解らなかった
最初、田中昌人先生の「共同教育」の規定を聞いた先生たちは、なにを言っているのかさっぱり解らなかった。
でも、何度の考えると次第に次のことが解ってきたとのこと。
学習する内容における普通教育としての普遍性を前提とは
田中昌人先生が、
「学習する権利の平等性をふまえ学習する内容における普通教育としての普遍性を前提」
を強調しているのは、
高野小学校と舞鶴盲分校・聾分校の「共同学習」として出されたレポートと討論の中で、高野小学校の生徒が舞鶴盲分校・聾分校を訪れたときに高野小学校の生徒が自分と同じ学年の舞鶴盲分校・聾分校の生徒が同じ教科書ではなかったことへの素直な疑問を受けとめていた。
しかし、現在では、障害児教育は普通教育ではなく、障害児は、技術を持って卒業していかないと卒業してから働く場がないから、義務教育段階で職業教育をすべきであるとする意見に対して、
日本国憲法の第26条
〔教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償〕の「ひとしく教育を受ける権利を有する。」「普通教育を受けさせる義務を負ふ。」
をもとに学習することの平等と共通性がなければ、本当の意味の共同教育にならないことをまず明らかにして指摘されたことが解ってきたのである。
このことは、1974年に教育実践上確かめられていきます。
「高野へは行きたくありません」「おもしろくありません」
舞鶴盲分校・聾分校の全ての子どもが喜び元気になり、自信をもってとりくみに参加しているとは言いがたいこともありました。
と舞鶴盲分校・聾分校の先生方は率直に報告されています。
「共同学習は嫌だ!」という四年生の聴覚障害の子がいました。
彼女は、1974年1学期の共同学習のどの場面でも何となく元気がなく笑顔など見せませんでした。
それは、高野小学校の四年生のクラスで一緒に授業を受けたとき、自分の受けている授業が高野小学校の生徒の受けている授業とはるかにおくれていることを知ったことが原因していました。
そして二学期も始まりの頃
「高野へは行きたくありません」
「おもしろくありません」
と担任の先生に訴えました。
彼女は自分が成長していくにつれ耳が聞こえないという自らの障害に悩み、高野の友達とつき合えばつき合うほど劣等感が増したようです。自分もなんとか聞こえるようになりたいと、母親に
「熱くても、辛棒するから、耳のうしろにお灸をすえてほしい」
とせがんだりしました。
こんな気持のまま.夏休みの体験を発表する自慢話大会の日を迎えました。
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