教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(3)
1973年1月和歌山県で開かれた全国教育研究集会で、京都府知事蜷川虎三氏が記念講演をしました。
この記念講演の内容は、現在でもいろいろなところで引用されていますが、言っていないことまで、言ったかのように書かれていたり、間違って理解されたりしています。
偶然、この時の京都府知事蜷川虎三氏が記念講演の全文の資料を見つけましたので、分割して連載させていただきます。
よくよく 講演の中味を読んで見ると京都の障害児教育について間接的に話されていることも解ってきました。
また講演のほとんどすべては、当時の行政、教育行政との制度上の諸問題を綿密に調べ上げられたうえで講演されていることも解ってきています。
※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。
1973年1月14日 和歌山 全国教育研究集会記念講演より
『憲法・地方自治・教育』 京都府知事 蜷川虎三
「来て見れば、さほどではなし富士の山」といいますが、私などそれです。
ただ私としては、23年間の現場をふまえたお話しをしたいと思います。
知事は 村境いの雑貨屋みたいなもの
もつとも、知事ってのは、村境いの雑貨屋みたいなもので、みそを売ったり、しょう油を売ったり、この頃じゃ耕運機をうったりもしますが、村境いの雑貨屋であることに変りはありません。
さて、雑貨屋の話は「憲法・地方自治・教育」と、重大で難しい問題です。
そこで私は、徳川時代に流行った落語の、もっとも、これは今どきの教科書にはのってませんが)三題咄をいたします。
オチは「革新自治の確立と推進」三題咄であるからには、オチ、ってものがある。
どこで落とすか。
私は、まず、オチ、から話をはじめたい。
これは大変ヤボ、なことですが、あえてそうすのは「革新地方自治の確立と推進」ってのが、私の、オチ、だからです。
これが確立されていれば、あのムチャな中教審答由のようなものは生れなかったろうし、先生がたが、苦労されることもなかった。
いまでは、東京には私と違ってスマートな美濃部さんがおり、外国の人あつめたり、いろいろやってる……。
大阪には黒田さん、埼玉には畑さんと革新知事が出現していますが、まだまだこれからです。
全国には六〇七市がありますが……これ憶えやすいんです。よくいう606の何とかの病気の薬があるってのに、ひとつたした数でね。
120が革新首長で、やがて607全部を革新にしなきゃならない。
人間の道を迷うことなく
正しい希望をもってすすめる人間を育てる
この際、いろいろな考えがあるが、現在を否定するより、肯定しながら前進できると、私ぁ考えてるんです。
それなら一体、どういう道を歩くのか、というのが第一の問題になります。
教育の理念など大変に難しいことですが、現場的にいえば……人間の道を迷うことなく、正しい希望をもってすすめる人間を育てること。
これが知事としての現場レベルでのとらえ方です。
心の配りができる人間
やさしい心の人間を育てることが教育の第1
私は、職業柄たくさんの人びとかち手紙をいただきますが、この正月かわいらしい字の、花のついた手紙をもらいました。
「おめでとう」
という言葉のあとに
「私は、バスで学校へ通っていますが、窓の外を見ると、木にコブができてます。枯らしてしまうのはかわいそうです」
と書いてありました。
忙しくて、まだ返事かいてないのですが、こうした心の配りができる人間、やさしい心の人間を育てることが教育の第1です。
そういう教育がすすんでいるってことです。
自衛隊に入ろうかなんて迷ったり。解析の点数が良いからなんて観点じゃなく、やっぱり
「迷わず、正しく、希望をもってすすめる人間」
ということが大切だと思うんです。
それにしても、今の学校は、教えることが多すぎるのではないですか。
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