教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(6) ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。
国全体として生きる権利を保障していかなければ
それから第三章は
「国民の権利および義務」
を規定していますが、とくに基本的権利を重視してるんです。
ところが、本当に守られているかどうか。
人権は、ちつとも守られてはいない。
国民の生きる権利……おばあさんが、誰もたすけてくれる者がいないので、年末に首をつった…というような悲惨な例が沢山でています。
憲法に規定されている生きる権利が守られていない。
知事や町村長の行きとどかないこともあって、われわれも反省しているけれども、これは、国全体として生きる権利を保障していかなければならない。
生きる権利を保障している社会の労働条件だといえるだろうか
東北の出かせぎの問題ひとつとっても、父親が東京に出ていったままで生死もわからない……こんなことで、生きる権利を保障している社会の労働条件だといえるだろうか。
働く権利も、もちろん憲法は保障してるんです。
しかし街には失業者があふれている一方で、仕事は多い、金はもうかるというのに。
週休二日制なんていうが、じつにうまい手ですよ、あれは。
休んでどうするのか。
行くところもなく、何ができますか金がなくては、レジャーもない。
結局、昼めし抜いて、うちの三畳の間で大の字になって寝ている程度でしょう。
いかにも良くきこえるけれど
ウラがある それを見抜かなきゃ
週休二日制なんていうと、いかにも良くきこえるけれど、彼らには、ちゃんとウラがあるんだ。
それを見抜かなきゃいけない。
やすやすと休んでも、行くところがない。
京都あたりは、鴨川べりを全部公園にしてますから、歩くのもいい。
入場無料です。
でも北海道や九州から来てもらうわけにもいきませんね。
一番大事な学ぶ権利もうばわれている
働く権利も、それから一番大事な学ぶ権利もうばわれているんです。
幼稚園に入りたくても入れない。
早朝3時からならんで順番をまってる。
「あのおばあさんはくじ運が強いから並んでもらおう」
ってんで、よそのおばあちゃんに日当だして頼んでくるような状態です。
そんなにクジに強いんなら、競輪に,でもいった方がいいと思うんだが、
好きになる日がくるんだから
そん時に
高校の入学も同じですね。
高校は中学のまったくの延長であるのに。
六・三・三制だってので、ずっとやってきたのに、急に学校の先生が変って、どうも子どもたちは落ちついていられなくなる。
で、なるべくならスポーツなどやって避けようとするが、それもできない。
私あ、絵でも踊りでも、何でも好きなことをやらせろというんです。
無理して数学なんか、やらないでいいですよ。
好きになる日がくるんだから、そん時にやったらいいんです。
できるだけ その子に適応したものをのばしていく
70歳からやったって、ちつとも遅くはない。
人間を養うためにやるんだから。
できるだけ、その子に適応したものをのばしていくべきです。
今ごろ私など徒然草や方丈記なんて京都で読むと、意味ありますけどね、あれを「大学の試験に出るから」ってんでやった、って意味ないと思う。
何の役にも立ちやしない。
鴨長明は、自分がこんなことに使われようとは、夢にも思わなかったろうと思うんです。
こんな状態で、子どもたちの学ぶ権利が失われています。
「十五の春は泣かせまい」というスローガンをつくって
私は、「十五の春は泣かせまい」というスローガンをつくって、「入れるだけ入れてくれ」と校長や先生方に頼んでまわったんです。
何分ご迷惑だけど、だって可哀そうちゃないか、それに憲法の精神にも反するからってね。
だからこの頃は全入、たいてい入れるときいています。
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