
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(21)
障害児が学習上の基礎集団を持ちつつ
必要な新しい仲間と共同に学び合つ教育機会を保障する
山城高校での聴覚障害児を受け入れた教育制度が始まった時、聴覚障害教育担当教師は、1973年和歌山県で開かれた全国教育研究集会で共同研究者の田中昌人先生が「共同教育」で提起した
「障害児が学習上の基礎集団を持ちつつ学習集団を基礎集団として、それを解体、分割することなく、基本にして、ただどこでもいいとか、安易な交流ではなく、基礎集団に、必要な新しい仲間」であるとしていることは先行的に理解していた。
そのうえで、共同に学び合つ教育機会を保障する教育活動、が「共同教育」であるとして、
「必要な」「複数の集団の保障」が必要であるとしている。
基礎集団と関わる複数の集団は、どんな集団でもいいということだけではない。
吟味された「複数の集団」との関わりが大切であるという指摘もすでに受けとめていた。
生徒には手に職を身につけることが一番だと
ろう学校高等部は固持
京都府立山城高校の聴覚障害生徒の受け入れに対しては、京都府立京都ろう学校の一部の先生は理解と賛同を示したものの高等部(普通科がなく職業学科だけだった)は、猛反発・反対し京都府教育委員会にも意見書をあげていた。
聴覚障害の生徒には手に職を身につけることが一番だと。
そして、知り合いの山城高校の教師にさかんにそのことを吹き込んでいた。
一番の理解者が多いはずの、ろう学校高等部が「敵対的」関係で立ち現れて来たため聴覚障害教育担当の苦労は計り知れないものとなった。
民主的な見とおし路線の形成とそれをはばむものには
共同の反撃を加えてゆく規律
このことでも、1973年和歌山県で開かれた全国教育研究集会で田中昌人先生の指摘していた。
田中昌人先生は、障害児教育は障害児教育だけで成立するのではなく、他の領域の科学的な到達点と成果を取り込むことによって、障害児教育が科学的に裏打ちされたものとなりその発展は無限に広がるということを意図して述べていたこと。
教職員の役割としては、
「教職員が地域や学校の民主化をすすめつつ」「子ども集団の民主的発展にとって必要なとき」「注意ぶかく準備された共同活動が必要」であり、その成果は、「子どもたちが自覚的に、文化継承の基礎になる活動を追求しはじめるとき」
に現れるとしている。
ここでも、教育の主体に対する慎重でかつ綿密な考えがうちだされている。
そして、教職員は、「共同の事業として、年次計画をたてて取り組み」という先に述べている「民主的な見とおし路線の形成」の具体例を挙げ「それをはばむものには、共同の反撃を加えてゆく規律が必要である」と述べられていたことはすでにあきらかにした。
そのため聴覚障害教育担当者は、

「京都ろう学校高等部に普通科を設置して、高校三原則の総合制をろう学校でも具体化し、お互い切磋琢磨することで聴覚障害児の教育が発展するのではないか。」
「保護者の中や聴覚障害生徒の中には、ろう学校を全面否定し、入学を拒否してきたことは事実であるが、選択肢の幅を広げ子どもたちの教育をうける場を広げようでないか」
と呼びかけたが、永くそのことは否定されてきた。
楕円形のテーブルを中心にした話し合いを
一方、普通学級で学ぶ聴覚障害生徒に対しては、新しいく改装された聴覚指導室に聴覚障害生徒全員が座れる折りたたみ式楕円形のテーブルを置き、聴覚障害生徒が充分話し合える時間と、場所もつくった。
この取り組みは、現在、インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョンとされている取り組みとはまったく異質の教育実践であった。
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