教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(25)
第25回山城高校文化祭「自分にとっての山城高校」のテーマでひとりの聴覚障害生が名のり出て全校生徒の前で講演した。
こんな重いものを持ち歩いていたら
「腕が強くなるな」と思っていただけだったが
私は授業をうけるときに、集団補聴器といって私が持ち歩いているのを見たことがあると思いますが体積は約18リットル、重さが約7キロの大きくて重いものを使っています。
初めてこの集団補聴器を使ったときは、こんな重いものを持ち歩いていたら「腕が強くなるな」と思っていただけなのです。
けれど、実際に毎日使っていますと、この集団補聴器は私にいろいろな苦痛をもたらしました。
この集団補聴器は、先生の胸につけているワイヤレスマイクから出る電波を受信して、増幅し、ヘッドホソか個人補聴器 - 今私が左耳につけているものですが - これで聞くのです。
ワイヤレスマイクの安定度が非常に悪い
ところが、ワイヤレスマイクの安定度が非常に悪いために、先生の声が入らなくなることが、ひんぱんにあったのです。
おまけに雑音が出てくるのです。
そのたび、私は集団補聴器の調整をしなければなりませんでした。
その結果、授業中はそのことばかりに気を取られ、授業が終ってみると授業の内容が頭に残りませんでした。
はたから見れば 大変こっけいであるかも知れませんが
また、集団補聴器の調整のため、席を立つことがひんぱんになり、講座の仲間の気をそらすことになるのに大変気がねした結果、先生の声が入らなくなっても、そのままにしておくことがたびたびでした。
はたから見れば、大変こっけいであるかも知れません。
けれど、私としては笑いごとではありませんでした。
うっぷん晴らし 欠席・遅刻
大変重いということも、私には苦痛になってきました。
私は授業中一部の人がうるさいこともあって、授業があまりおもしろくありませんでした。
集団補聴器を持っていかないで、個人補聴器で聞くこともしばしばでした。
初めの一年間は、そのようなわけでうっぷん晴らしに、あまり聞こえない深夜放送にひたったり、夜遅くまで本を読んだりして時間をつぶしました。
その結果、私はよく欠席・遅刻をしました。
私に遠慮していたのか
どうかわかりませんが
一度も文句を言われませんでした
授業の途中で入ってきて、集団補聴器をセットするのは、授業を受けている仲間の気をそらすことになり、大変気がとがめました。
けれど、みなさんは私に遠慮していたのかどうかわかりませんが、一度も文句を言われませんでした。
私はみなさんが私のこと、集団補聴器のことについてどう思っているのかを知りたかったのです。
もっと自分から、積極的に話せばよかったかも知れません。
けれど、当時の私は自分に自信がありませんでした。
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