教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(26)
さまざまな問題を投げかけて、考えて、成長して行ったE君
第25回山城高校文化祭「自分にとっての山城高校」のテーマでひとりの聴覚障害生徒が講演したと書いたが、この講演をしたのは養護学校から山城高校にいたE君だった。
彼は、みんなの前ですべての事実を話したわけではなかった。
それは、それで聴覚障害教育担当者は、許容していた。
彼は、さまざまな問題を投げかけて、考えて、成長して行く。
そのいくつかを紹介したい。
その前に山城高校聴覚障害教育では、学習保障・聴覚保障・集団保障を重視していたが、E君が言った集団補聴器のことを先に説明しておきたい。
矛盾と問題の解決のための血みどろの取り組み
山城高校での聴覚保障は、まさに現在ある聴覚機器をふる活用しながらそれを使用する上での矛盾と問題の解決のための血みどろの取り組みだったと言っても言いすぎではなかった。
聴覚障害生徒のいるクラスを固定してその教室ですべての授業と選択講座を行う意見もあったが、それでは、健聴生徒とひとしく教育をうけたということにもならないし、物理、化学、芸術等々の教室で授業を受けることも出来ないということになり、講座によって教室を移動する聴覚保障を「歩む姿で」考えざるをえなかったのである。
実験、実習教室などは、安全のためループを部屋にめぐらし個人補聴器で聞く方式がとられた。
しかし、移動するための集団補聴器は、すべてオーダーメイドでつくらなければならなかった。
E君は、その機械の不具合を山城高校文化祭で訴えたわけである。
オーダーメイドの集団補聴器第1号
オーダーメイドの集団補聴器(複数の聴覚障害生徒が聞くことが出来る。)は、京都府教育委員会が知事部局に山城高校の聴覚障害生徒のための機器などを含む独自予算を要求し、府議会の承認を得て予算化される。
そして、オーダーメイド(当時市販されている集団補聴器などは机と一体型のものでしかなく外国製品となるととても高額だった。)するという順序だった。
聴覚障害生徒の使用状況と要求から、翌年度は改良型オーダーメイドの集団補聴器をつくるという状況だった。
そのためE君は、最初の聴覚障害生徒として入学したためオーダーメード1号機を使用したわけである。
京都府教育委員会の担当者は熱心に話を聞き努力してくれたが
E君が、文化祭で訴えるまでもなく、問題点が解っていたのでオーダーメイド発注製造担当者来てもらいノイズや混線状況を調べてもらったが、高校という大きな建物がいくつかあり、周辺にさまざまな電波がとんでいることもあり原因を単純に捉えることは容易ではなかった。
一教室に備え付けの集団補聴器ならより簡単であるが、選択講座等になると「移動」は必須条件であり、極力軽量化して移動可能な持ち運び式集団補聴器をつくる必要があった。
こういうものをつくるためにさまざまな資料や設計図を京都府教育委員会に出したが、当時の京都府教育委員会の担当者は熱心に話を聞き、努力してくれた。
しかし、もう一つの重要な点をも含んでいた。
「カッコ悪い」という問題である。
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