2012年7月22日日曜日

山奥からの長時間通学を言えないでいたE君のねがいと要求は


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(29)

  E君は、母校のM養護学校の時は、寄宿舎に入舎して学習を進めていたが、山城高に入学してからは、自宅から通学していた。

 ところがその自宅は、山城高校から遙か遠くにあった。
 京都府下中部にある自宅を早朝5時頃に出て、1日数本のバスに揺られて国鉄(当時)の駅に着く。
 駅から各停に乗って国鉄の駅について、そこから市バスに乗ってバス停から徒歩という毎日だった。
 長時間通学のため疲れ切ってしまっても当然という状況であった。


      よく欠席・遅刻をした本当のわけ

 文化祭で、
 初めの一年間は、そのようなわけでうっぷん晴らしに、あまり聞こえない深夜放送にひたったり、夜遅くまで本を読んだりして時間をつぶしました。

 その結果、私はよく欠席・遅刻をしました。みなさんは私に遠慮していたのかどうかわかりませんが 一度も文句を言われませんでした
 授業の途中で入ってきて、集団補聴器をセットするのは、授業を受けている仲間の気をそらすことになり、大変気がとがめました。


としか言えないで、何時間もかけて通学していることはまだ言えないでいた。
 E君の通学状況を知るため、E君の自宅を訪問した。おばあさんが、出てきて言われたのは、

「ようぞ こんな山奥までおこしいただいて。」

が、最初のことばだった。
 ようぞこんな山奥から山城高校に通っている、と言う印象を強く抱いたのは、教師のほうだった。

 身体にとって大変な負担を少しでも解消しよう

 恐縮しつづけるおばあさんは、何度も何度も頭を下げられ、孫をよくぞ学校に入れていただいたと喜ばれる。

 ゆっくりした時間とともに、E君は家族にかなり「甘やかされて」いることも解ったし、「わがまま」を言っていることもわかった。

 それにしても、山城高校までのこの遠さ。
 近くのバス停の停車時間を見ても朝夕だけ。
 E君の身体にとって大変な負担を少しでも解消しようと考えた。


   一番近くにあり 最も理解してくれるはずの
     京都府立ろう学校の寄宿舎がある

 そこで、京都府立ろう学校の寄宿舎に入れてもらえないだろうか、と相談した。

 京都府教育委員会が山城高校に聴覚障害生徒の受け入れを考えた時、京都府立ろう学校に一番近い府立高等学校が山城高校であり、双方の学校の連携・協力が必要となるであろうし、また、新しい連携・協力をつくりあげて一つのモデルケースとして京都全体に広げたいという意図があった。
 山城高校で大論議している時に、京都ろう学校に連携・協力の話も提案されていた。
 しかし、真剣に論議されていたとは考えにくい面があった。


       ろう学校のもつ専門的機能を広く開放し 教育に生かす

 当時、京都ろう学校の聴能言語室は、ろう学校生徒のみならず京都府下の聴覚障害生徒の聴覚活用のため援助はもちろん、生徒や保護者の教育相談等にも非常にていねいに、親切に応じていた。

 もちろん、山城高校の聴覚障害生徒の聞こえの保障のより専門的な問題や解決などには、全面的に協力してくれていた。

 ろう学校のもつ専門的機能を広く開放し、教育に生かすという考えだった。


    ひょっとすればろう学校の寄宿舎に入れて通学出来るかも

 だから、ひょっとすればE君が寄宿舎に入れて通学出来るかも知れないという淡い希望があった。
 校長にそのことを提案。校長は、すぐ京都府教育委員会に行った。
 帰ってきた校長は、京都府教育委員会はそのことはよく解ったが、ろう学校とも充分相談する。ろう学校が承諾すれは、制度的にも可能である、という返事をもらってきた。

 さらに、もしそれが出来ない場合は、京都市内に府立高等学校に通えない僻地の生徒のための寄宿舎がある。そこも考えたいという返事だった。
 だが、その寄宿舎の場所では、交通の利便性を考えても結局自宅通勤と変わらないということも解った。


 なんとかろう学校の寄宿舎が、受け入れてくれないだろうか。

  バスに乗らなくてもE君なら歩いて行ける場所にある、と待ち続けた。



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