2012年7月26日木曜日

十四の春にかえる術なし


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(31)

     青年期の発達と教育課題

   聴覚障害生徒は、16歳頃をすぎると大きな成長をとげる。
 成人への身体的成長と社会的かかわりの中での発達は、いくつかの複雑な状況を呈してくる。

  このことへの教育課題は、1970年代から故田中昌人先生から山城高校の教育と聴覚障害教育との関わりでいくども提起を受けていた。

 その後、25年経って故田中昌人先生から次の青年期の課題が紹介された。
(田中昌人講演記録 子どもの発達と健康教育 ③ 著作・編集 京教組養護教員部)
 まず、その一部を紹介させていただく。

  十四歳と十五歳の時はもう違う 自分の本当の価値を知る

石川啄木は、「煙」という作品のなかで、今の自分にはない、けれども「あんなふしぎな時代」があったと書いています。
 そして、


  己が名をほのかに呼びて
  涙せし
  十四の春にかえる術なし


  夜寝ても口笛吹きぬ
  口笛は
  十五の」歌にしありけり


と歌っています。

 自分の本当の、価値を知っていくことです。

 恥ずかしくて人に言えないし、交換ノートにもとてもかけないけれど、何かそこに呼びかけてみたいようなものを持っている世界が、「心の小箱」としてできていくということです。

 それが、十四歳と十五歳の時はもう違います。

 学校ではもう一瞥(いちべつ)だにしてもらえなくて 何の評価もしてくれないが

  十五歳になりますと、はなしことば、書きことばではなく、今度は「ギターを弾いてみる」「野山に行って歌ってみる」「口笛で表現してみる」と、これまで持っている力を全部使っていきます。

 英語で日記を書いてみる。イラストで何か自分の心を表現してみるなど。
 

 その子その子なりのいろいろな表現をしていきます。

 学校ではもう一瞥(いちべつ)だにしてもらえなくて、何の評価もしてくれないわけですが、その子にとっては、かけがえのない大切なものなのです。



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