教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(32)
土下座してあやまってきた お父さん
ある日。 E君と話をした時、
「お父さん、なんで僕みたいな子供(障害者)を生んだのや、お父さんの責任やと言ったら、お父さんは、土下座してあやまってきた。」
「それで君は満足したの?」
「そんなことはなかったけれど……」
身体の成長は自らの障害を再認識することになり、社会生活の中での孤独と重なり
「言い知れない不安と、言い表しきれない不満」
を持ち始める。
そして、すべての矛盾を自己の障害そのものだけが原因であると考え、自己を障害の否定へとおちこんでゆく。
15歳。
自分を卑下し、自分の存在そのものへの否定となり、障害を持つ自分を生んだ親を追求することに帰着しがちである。
このことで多くの障害者が悩み続ける。
また生き方の分水嶺にもなる。
それと並行しながら、異性に対するあこがれや恋愛・結婚という問題に直面してゆく。
このこともまた、障害者が自己の障害をどう考えるのか、健体者は、障害者をどう見ているのか、ということを障害者自身にかえしてくることになるのである。
この時期にとって重要なことの第一は、障害者自身に障害の原因を正しく知らせ、なにが障害者差別を生んできているかを科学的に認識出来ることである。
「私は困難に直面した時、たえず親をうらんだ、けれどそれをのり切れたのは、非常に簡単で的確な親の答えであった。
戦争がお前を障害者にしたのだ、という言葉である」
(大学に障害者の門を開くための協議会、京都結成大会における藤野高明先生の講演より)
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