Once upon a time 1969
ろうあ協会とともに手話サークルみみずく会手話通訳団(手話通訳会議)は、会議を開き、A鉄工所のろうあ者の手話通訳保障と手話通訳方法を相談した。
当時、手話通訳者は、非常に少なく、また手話通訳の内容も単純でなかった。
ろうあ者になじみのない労働組合用語。
24時間体制の手話通訳保障。
手話通訳者は、ろうあ者を説得しろという動き。
小競り合いどころか、暴力がふるわれそうになる危険。
手話通訳者の負担と役割はますます重くなっていった。
特に、深夜から明け方にかけての手話通訳は、手話通訳者を疲労困憊の状況に追い込んだ。
ろうあ者の権利を 人間として生きる権利の中で
だが、ろうあ協会も手話通訳者会議も共通して考えで一致していた、
Dさんが、第1組合にのここるのがいいのか。
第二組合に行くのがいいのか。
そのような問題ではない。
Dさんだけでなく、ろうあ者の権利を、人間として生きる権利をどのように守っていくのか。
もう許してはならない 奴隷状態の労働を
それまでの、
働かせてやっているだけでもありがたいと思え。
給料が出ているだけでもありがたいと思え。
住む家がないからということで会社の寮に入れても、仕事が終わって会社の寮の掃除、管理までさせられる。
文句の一つも言えない状況。
いくらでもある。数え切れないほどある。
さらに重複障害のあるろうあ者の労働は、あまりにもひどく奴隷状態と言っていいような状況だった。
北海道、札幌の食堂で働いていた知的障害者
4人の裁判は 40年以上前と同じだった
2008年2月、マスコミは、北海道、札幌の食堂で働いていた知的障害者4人が、長年にわたり給与と障害者年金を食堂経営者らに詐取されたとして、食堂を経営する札幌の会社などを相手取り、約四千五百万円の損害賠償を求める訴えを十三日、札幌地裁に起こしたことなどを報道した。
報道の一部を紹介すると、
被害者は女性3人と男性1人。
食堂に住み込みで16年から最長は30年近く働いていたが、その「実態」を聞くと奴隷さながらだ。
朝7時から12時間以上、遅くは午後10時まで働いていたが、食事は昼夜を問わず厨房で立ったまま。
男性はなぜか、夕食なしだったという。
仕事が遅かったりうまくできなかったりすると、厨房のなかで罵詈雑言。
トイレに行くだけでも、経営者に怒られていたという。
しかも、休日は月に2日だけ。
給料はゼロ。
もらえるのは月2回の銭湯代390円だけ。
女性3人は銭湯でも1人だけは湯に入らず、浮いた390円で3人分のジュースを買って飲んでいたという。
おまけに障害者年金は、それぞれの通帳に振り込まれたものを、経営者が勝手に引き出して食堂経営資金にしていた。
「4人とも手足のあかぎれは最悪の状態で、やせていた」
と弁護士はいうが、みのならずとも
「明治時代じゃあるまいし」
と思うような話だ。
が、経営者は弁護士に
「この子らの面倒を見てやってる。何も悪いことはしてない。ただ、年金は使わせてもらった。給料は払ってない」
といっている。
働くろうあ者を守る会をつくらないと
状況は改善されない、という声が
この報道を知った時、A鉄工所問題時代やそれ以前にタイムスリップしたような哀しい思いをした。
仕事で、殴る、蹴る、縛られる。
残念ながら、「働かせてやっているから」がすべての切り札だった。
その切り札で、人間として許されないことなされていたことがあまりにも多すぎた。
障害者の労働実態をいやと言うほど知っていたろうあ協会や手話通訳者から、
「やっぱり、働くろうあ者を守る会をつくらないと状況は改善されない。」
という意見が出た。
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