2012年4月22日日曜日

うす明かりの朝日を迎えた時期に固まった意志


Once upon a time 1969

 京都市内。

 といっても非常に広い。左京区や北区は山林がほとんど、というような時期だった。

 そして、春先からじめじめとした梅雨の時期に入った頃、Dさんは第1組合に脱退届けを出して、第二組合に入り、7月1日からA鉄工所で就労することになった。
 ろうあ者の中には、Dさんの気持ちはわかるとしながらも、会社の誘惑に負けず第1組合に留まってほしいという気持ちもあった。

   労働組合だけの言葉だけではない 団結と統一

 ろうあ者も障害者も働く人々と手をつなぎ、働くことを守る運動に参加するという毅然とした気持ちを多くの働く人々に知ってほしい、という気持ち。

 団結と統一。

 それは、労働組合だけの言葉だけではなく、障害者もそうなんだ、そんな取り組みをしているんだ、という気持ち。
 第二組合に入るということは、ろうあ者全員が「負けた」となってしまうという気持ち。

 そうは言っても、そうはならない、ジレンマ。

   明け方を迎える辛い説得

 Dさんの家は、東京日本橋からはじまった東海道が京の三条大橋につく、すぐ近くの旧東海道の街道脇にあった。

 だが、大通りの裏側であったため人通りは少なかったが、少なくないろうあ者がDさん宅を訪れ、何とか第1組合に残れないか、と説得した。

 Dさんにとってそれは、最も辛いことであったが、気持ちは変わらないと訪れたろうあ者にひっそり言った。

 その説得は、明け方まで続いた。

 説得するろうあ者もDさんも不眠不休の日々だったとも言える。


      もう一度 第1組合に踏みとどまってみよう

 ろうあ者の代表が、第1組合の委員長に会いDさんの心情も、ろうあ者の心情も伝えた。

 委員長と数度話し合う中で、Dさんの経済状況に対して第1労組から一時金を貸すという条件が出された。
 喜んだ、ろうあ者代表はすぐDさんにそのことを伝えた。

 Dさんは、考えあぐねた結果、もう一度、第1組合に踏みとどまってみようと言うようになった。

 だが、ろうあ協会やDさんたちを支援する人たちからは、揺れ動く状況の変化に振り回されている。

 その度、みんなが集まってそう相談を繰り返すだけではダメではないか。

 いつも、働くろうあ者を支援する組織、守る会を作らなければ、その度、その度の対策で終わってしまうという考えが固まっていった。


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