Once upon a time 1969
現代、手話や手話通訳を知っている人は数え切れない。
また手話を学んでいる人々もはかりしてない。
ひとつ、ていねいに多くの人々に訴え、理解を広め
それを受けとめ、支えてくれた人々
だが、手話や手話通訳を否定されている時代。
ろうあ者が、人間として不平等な扱いがされていた時代。
それをひとつ、ひとつ、ていねいに多くの人々に訴え、理解を広めたこと。
またそれを受けとめ、支えてくれた数え切れない人々が広範にいたことを知る人々は少ない。
立会演説会の体育館を揺るがす大拍手。
人間連帯の拍手。
その積み重ねがあって現代があると思いこの文を書き続けている。
手話を知っているから信頼するまじめなろうあ者を
人生のどん底に突き落さないように
手話をすること=ろうあ者の理解ではない。
これは1969年にろうあ者から強烈に教えられたことである。
手話を知って、手話を知っているから信頼するまじめなろうあ者から金を巻き上げたり、人生のどん底に突き落とすなどのことがないようにしてほしい、と何度も何度も頼まれた。
だから、同じ人間としての信頼の上に手話通訳が行われなければならない、と思い続けてきた。
でも、現代はそうなっているとはとうてい思えないことがある。
ろうあ者の手話表現をどこまでも尊重しながら
手話を知らない人々にとって、
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
ということをどのように手話表現するか、とあえて書いたのは、上から伝達する手話通訳ではなく、ろうあ者の手話表現をどこまでも尊重しながら、それを採り入れて、手話通訳をするのかが、手話通訳の使命だと思っていた。
だから、「聞き取り手話通訳」「読み取り手話通訳」と言うように、手話を聞こえる側から伝達する方法とろうあ者の手話を伝達する方法を分離して考える現代の傾向には、激しい抵抗感がある。
聞き取り手話通訳は出来ても、読み取り手話通訳は出来ないということは、聞き取り手話通訳自体が、ろうあ者の手話表現を蔑ろにしているとしか思えない。
ナゼなら、手話通訳している側が、ろうあ者の手話を読み取れないのだから、聞き取り手話通訳は手話通訳したことにならないからである。
手話通訳は、双方向のが理解出来ないことには、手話通訳を一番切実に求めているろうあ者に意味不明な手話をしていることになる。
すなわち、ろうあ者の立場を尊重せずに聞こえる人の側だけの伝達をすることになるからである。
手話通訳者に難問が突きつけられる
1960年代から1970年代にかけての京都の手話通訳者は、このことで一番心を砕いてきた。
さて、立会演説会が京都市内に会場が移ってきた時に、さらに難しい手話通訳が求められたことがあった。
立会演説会会場では、選挙が激烈化すると弁士に対する激しいヤジが飛び交う。
このヤジに対して、現職の京都府知事蜷川虎三氏は、
「虎三が悪い、と言うなら浪曲でも唸ろうか」
と切り返した。
これは、自分の名前の虎三と浪曲で有名な広沢虎造を「かけて」ヤジに切り返したものである。
浪曲の虎造は、ろうあ者にはあまり馴染みがなかった。
浪曲を聞くことが出来なかったから当然と言えば、当然であるが、手話通訳者はとっさに手話通訳をすることが求められた。
このとっさの時間は、1秒にも満たないが、手話通訳者の頭の中は、超高速回転してどのように手話通訳をするか、ということを考える。
その時間は、数秒が、何時間にさえ思えるほどであると書いても言いすぎではない。
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