2012年2月1日水曜日

丹後のろうあ者に、新しい仲間が芽生えた


Once upon a time 1969

  マイクを引きちぎった候補者の演説は、満員の体育館の前列だけにしか聞こえなかった。
 体育館はもちろん、第1会場、第2会場は、大騒ぎになった。
 選挙管理委員会は右往左往していた。
 しかし、手話通訳者の位置からは、演説は聞こえる。

 だから手話通訳をしていた。
 が、一瞬、体育館参加者の目が手話通訳者に釘付けになっていることに気がつく。


  手話って、まったく分からないと思っていたけれど
           何となく分かるところがある

 会場の人々には、スピーカーからの声が聞こえないため候補者が何を言っているのか分からない。
 だが、手話通訳者の様子を見ていると、なんとなく候補者の言っていることが分かる。
 まてよ、コレコレこんな動きをしているのは、こういうことではないのか。
 こんなざわめきが、広がっていたのである。


 手話って、自分たちにはまったく分からないと思っていたけれど、何となく分かるところがある。
 こういうように手話でするのは、こういうことなのか。
というざわめきが広がっていた。

   数十mや100m離れていても
        手話通訳が読み取れる手話通訳を

 未就学のろうあ者もそうでないろうあ者も参加している。
 そのろうあ者に候補者の演説内容が通じるように、手話通訳者は、手話を大きくし、出来るだけ身振り表現からくる手話もとりいれながら手話通訳したことが逆に参加者の理解を広げたようである。

  立会演説会で、手話通訳が見えやすくするため2m四方の手話通訳台を置くことを条件にしたのは、例えば「歩く」という手話は、人差し指と中指を「足に見立て」歩く動きをするが、10m以上も離れるといくら大きな動作をしてもろうあ者から見えない。
 その場合は、手話通訳者は手を振り足を上げ下げして歩く動作をすると、ろうあ者側から見える。
 出来るだけ大きな手話表現をすると数十mや100m離れていても手話通訳が読み取れるということを京都の手話通訳者は確かめていた。
 だから、身体全体を動かしたり、足を前に後ろに、左右に動かすためには、2m四方の手話通訳台が必要であると選挙管理委員会に申し入れをし、承諾を得ていた。


 マイクが引きちぎられたことで聞こえる人は
     手話に興味と関心とを持ちはじめる

 このことは、ろうあ者だけではなく、聞こえる人にも見やすい結果になった。
 マイクが引きちぎられたことで聞こえる人は、手話に興味と関心とを持ち、分かる表現と分からない表現があり、隣同士の席の人と意見交換するようになっていったのである。
 さながら、体育館で自主的手話講習会が開かれたような様相になって会場のざわめきが次第に渦を巻きだした。

 手話通訳者が、手話をするとみんな同じ手話をしようとする。
 手話通訳者もろうあ者も驚いて、ろうあ者は振り返り、会場のみんなの手話を見てにこにこしたり、いやそうではないこうだと、手話でみんなに返事をするとみんなはそれをまねる。
 その様子に吹き出したり、笑ったり、会場は騒然とし出した。


候補者を見る人よりも
 手話通訳を見る人のほうがはるかに多くなって

 選挙管理委員会が、「ご静粛にねがいます。」と言うと
「マイク、マイク」の声。「聞こえないよー」の声が返ってきた。

 まもなくマイクも準備され、候補者は再び演説をはじめたが、会場の多くの人は演説を聞きながら手話通訳を見て、ヘーッ、あのようにするのかと候補者を見る人よりも手話通訳を見る人のほうがはるかに多くなった。

 ろうあ者も、聞こえる人が手話に興味を示してくれたこと。
 手話を覚えようとしてくれていることを知って大喜びであった。
  立会演説会が終わってろうあ者は、手話通訳者のところにやってきて、「よかった、よかった」と言うだけではなく、聞こえる人もやってきて「このことは、この手話でいいんですか」「手話を教えてください。」「手話って、私らの言っていることとぜんぜん違うと思っていたけど、そうではないんですね。」と言ってきた。

 丹後のろうあ者に、新しい仲間が芽生えた。

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