Once upon a time 1969
画集「眠りから醒めて」を読んでいると、後藤勝美さんが、
「映画の絵看板(当時は"劇画看板"と言っていた)の仕事」から「邦画、洋画の華々しいスターの顔を描き、背景も入れ、タイトル、役者の名やキャッチフレーズなどを書き込むのである。
おかげで私はこの時期に多くのことを学び、美術面とはちがったもう一つの技を身につけることが出来たと言える。」
と書いていることは紹介してきた。
かってろうあ者は映画から多くのことを学んだ
後藤さんは
様々な人と国の人間の喜怒哀楽やその深みを知った
学ぶ、学んだことを「総合芸術といわれる映像を通して様々な人と国の人間の喜怒哀楽やその深み」を知ったというのである。
すでに紹介したが、洋画であると邦画がであろうと、「映画」は、ろうあ者にとって学ぶ糧であった。
後藤さんは、さらにその上に映画の絵看板(当時は巨大なものであった。)も通して国内外の「間の喜怒哀楽やその深み」を知って行ったとも書いている。
人間としての情感とともにことばや手話以外のコミニケーションとしての人間的「技」を後藤さんが形成していっていたことを知ったのもこの画集「眠りから醒めて」からだった。
引き続き、画集から後藤勝美さんの文章を掲載させていただく。
画業再開のチャンスは多くあったし、役職柄、画友たちにとり囲まれていたため、仲間からのその声も少なくなかった。
その決心をするには、かなり時間を要した。
再開よりも役職を降任するタイミングの方がむつかしかったからである。
いくら多芸でも人間には限度というものがある。
出来ることも出来なくしてしまう。"もう、これくらいでいいだろう"ということで全日本ろうあ連盟50周年大会を機に20年余の役職にピリオドをうった。
画業再開宣言して6年目の1997年6月であった。
見えるのは誰れが見ても同じ ただ違うのは、ひかれる点
丸と四角と三角、この3つのうちどれが好きか好むかと言われたら、私は三角である。
この三角の形は、正三角形でなくても例えば菱形でもいい、とにかく角のあるのが私は好きである。
絵には、この三角形が何かにつけて基本らしいが私には、そういう意味ではない。
角は変化といってもよいし、ズバリ言って角の美しさ、そこにひかれる。
鋭い角もあれば、ゆるやかにカーブを引く角とか、変化がまた変化を産み、全体を一つに構成する。
よって、私の作品、スケッチにしろ大作にしろ必ずどこかにそんなものが見られる。
見られなくても潜んでいる。
画家の眼から、このように映っているのか?と時たま聞かれる。
冗談じゃない見えるのは誰れが見ても同じである。
ただ違うのは、ひかれる点で、どこをどのようにひかれたか、ひかれるか一だろう。
そこに描く人の思い・心が宿る。
いや、そういうものを表現するのが作者の仕事で、生命でもある。
それが出ているか否か、出ていても見る人によっては受け方も異なるだろうが、それを出すのも作業である。
すごくひかれる 人間の暮らしの匂いのするもの
私は、人間の暮らしの匂いのするものにすごくひかれる。
例えば、古ぼけた木造家屋とか、ビルとか、工場などだ。
使い尽くされて捨てられた車とか船とか、道具類にも愛着を感じる。
時の経た空間に不思議な美をただよわせる。
もし、私に人物を描くとしたら美人は描かない。
誤解されかねないからあえて繰返すが、美人を美人として描かないという意味である。
お分かりかな……?
「お分かりかな……?」に対して、私は、「いいえ」と言い続けてきた。
ろうあ者の大会や手話通訳集会の大会などなどで、しばしば後藤さんと会って話をした。
しかし、会っていたのは彼が、「この理不尽きわまる世を避けて、自らもろう者である私に何が出来ようか。放っておいてよいものだろうか、自分の問題でもある。自分がやらずして、誰がやる/一と、己の使命のように思えた。そう感じて、以来、ひたすらにろう者の福祉運動に没頭していった」頃であるため彼が画家を断念していた時期とは夢だに思わなかった。
集会では、後藤さんも私もいつも裏方でまともに集会に出たこともなく、分科会に出たこともなかった。
だから、多くの人が、集会に参加して人が少なくなったホールなどで後藤さんと出会うことが多かった。
いつも裏方をする
「看板屋」?さん
ある時、急に大会のスローガンの変更が必要になった時、後藤さんは他の人にドライアーを持たせて書いた文字をすぐ乾かす裏方の仕事をしていたのを見たことがある。
横約50㎝幅、縦80m以上ある長い長方形の紙を何枚も書き直す作業である。
驚いたことに、その紙に後藤さんは、何の印もつけずに次から次へと大会スローガンを書いていく。
スローガンの文字は、長短あるが、すべて同じ幅、同じ長さの紙に均等にすらすら書き上げていく。
その速さとともにその均等さと余白を残さない見事さに驚いて、ドライアーを持っていたろうあ者にあとで聞いてみた。
「後藤さんは、どんな仕事をしているの?」
「看板屋」
「ヘーッ?」と思ったけれど、それだけに留まっていた。
見たこともない人間味一杯の手話イラスト
ある時、「岐阜の手話」を入手して、吃驚してしまった。
そこに書かれている手話イラストは、今まで見たこともない人間味一杯の手話イラストで、描かれている女性は表情豊かで見ただけで手話表現に魅了されるイラストだったからである。
しかも動きも「見える」。
ダレが書いたのかを調べたら、後藤勝美さんだった。
そこで何度も何度も猛アタックして後藤さんに手話のイラストを依頼したが、いつも返事は、「ノン」だった。
後々このことを後藤さんと話をしたことがあるが、照れて「いや……あの岐阜の手話は、岐阜の手話でないので。」と言い続け「イラストの女性の表情が非常にいい、今までこのような手話テキストを見たことがない。」と言うと「女性を描くのは苦手」という返事。
そこで彼が書いたトルコの女性の絵を見せたら「勘弁して」と言われた。
後藤勝美さんは、非常にシャイな人だった。
後藤勝美さんについては、以下のホームページをご参照ください。
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http://www.gayukobo.com/
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