Once upon a time 1969
ワラ半紙と2Bの鉛筆は、もう片時も離せない必需品
藤田さんが、「ワラ半紙と2Bの鉛筆は、もう片時も離せない必需品」と書いているが、なぜ鉛筆が2Bなのかはよく解る。
速く、すらすらと書けて筆談がしやすいからである。
硬い鉛筆では、速く書けない。
やわらかすぎても、ワラ半紙に書けなかった。
藤田さんが書いている「ワラ半紙」は、細かく切った稲ワラや麦ワラで作られたものである。
そのため現在のような紙ではない。
品質は不安定で、ワラの形が残ったままのものだった。
表はまあまあなめらかだが、裏はゴツゴツして鉛筆の先が引っかかったり、表面も弱く、破れることもしばしばであった。
これらの紙は、当時、学校で使われたりした。
この「ワラ半紙」に書かれたものはもろく、保存が効かない。
7時すぎに起きると、ガスに火をつけて、お湯のわくまで新聞を読むのが、私の毎朝のきまりです。
私の読むニュースを、こどもは大でい昨夜のラジオで聞いている筈ですが、そんなにいちいち親に話してはくれないものです。
みんなが学校へ出かけるまえの一ときは、まるでいくさ場みたいですが、どんなに忙しくても、こどもたちの髪だけは結ってやることにしています。
母としての、せめてもの愛情を示す一つだとおもいたいからです。
PTAの集りや、授業の参観には、なんとかして出かけてゆきます。
私の方は、黒板の字や、先生の口の動かし方で、大ていはおっしゃることがわかるのですが、新学年などで、受持の先生が変られた当座などは、なかなかこちらのことばがわかっていただけないようです。
私たち4人の、いまののぞみを書いてみます。
夫は、ちゃんとしたアトリエを持って、自分のかきたい画を思う存分かきたいのが、いまののぞみだそうです。
それを例によって、手まね指文字をまじえて話してくれたあと、私のワラ半紙に、「夢だね?」と書いて、わらいました。
私ののぞみは、ふたりのこどもが大学へ行けるまでの教育費を残したいこと、お菓子を作るのが好きですから、オーブンのついたガスレンジを買いたいことです。
上の子は、父に似たのか絵がすきで、それに私の手芸ずきが手伝ったのか、自分で図案を考えて自分でアプリケをしたりするのが好きで、日本中のありとあちゆる手芸の参考書を買い集めたいのが、いまののぞみ、大きくなったら.女子美術へゆきたいと言っています。
下の子に、なにになりたいと聞いたら、お習字の先生になりたいというのです。
ふつうのこどもより、文字というものに、なにかつよい印象があるからでしょうか。
あとさきもなく、とりとめもないことを書いてしまいました。
ひとなみに、明るく、たのしく生きてゆこうとする、親子4人が、ここにもいることを知って頂けたらうれしいのです。
私のワラ半紙に、「夢だね?」
手まね指文字をまじえて話してくれたあと、私のワラ半紙に、「夢だね?」と書いて、わらいました。
と、スッーと書く、藤田さんの文章はこころを打つ。
夫とのコミニケーションが、手まね(手話)と指文字とそして筆談。
筆談は、「夢だね?」という文字で締めくくられる。
シンプルだからこそ、こころに響く。
響きかたは、読み手によってさまざまだろう。
暮らしの手帖への文章は、このように綴られていた。
だが、京都のろうあ者から、幾度も聞き、だれひとり藤田さんの夫の手話を「まね」られず、途中で、「やっぱり出来ない」とあきらめる手話をぜひ見たいとねがっていた。
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