Once upon a time 1969
後藤勝美さんは、永く全日本ろうあ連盟の文化部長をされていた。
だから、「ろう文化」とか、さまざまな「新用語」が次々出されてろうあ者独特の芸術や文化があるかのような傾向に対して、鋭い批判をしていた。
芸術作品を創る。
その創った人が、ろうあ者だった。
ということと、
ろうあ者独自の芸術世界がある、とする断定に激しい抵抗感を抱いたのは、それだけの苦しい思いをしてきたからだろう。
それだけではなく、他の人々や社会から「切り離された世界にろうあ者が居る。」「違う世界に居る。」という傾向は、多くの人々との連帯を切り離すものである。
私たちは、もっと多くの人々と手を携えていかなければならないのだ、という考えが後藤さんの底流にあった。
さて、 引き続き画集「眠りから醒めて」の文を掲載させていただく。
昔のままのひなびた漁村 漁港が好き
私の青年時代には、アクリルえのぐはなかった。
今では有難いことにそれがある。
私は、元々水彩画を描いていたが、若い頃は油絵もやっていた。
この油絵も悪くはないが最大の難点は乾きを待たねばならないことだ。
性急な私には、これが合わない。
その点でアクリルは便利である。
水に溶けるし、乾きも速い。何よりも油絵のような重厚なマチューエルが可能である点だ。
水彩には、それが出来ない。
しかし、アクリルも難点がないわけでない。
削り取り、引っかき等がむつかしい。
慣れないうちは苦労した。
今でも完全にマスターしたとは言えないが、いろいろと試行錯誤しながらやっている。
水彩と同様に予め計算が要するしオーバーに言えば"発勝負"、ここがまたいいのである。
私の描く風景画は、殆んど無人の風景である。
時たまにスケッチ画には人物が入るが、本命の方は、まずない。
これも、よく人から聞かれるが、特に意識していない。
意図的でもない。
あえて言えば描く必要がないということだろう。
しかし、人物は描かぬが動物は入れることがある。
例えば、猫がそれだ。それも、よく見ないと見落すような描き方で画面に入れる。
私の取材活動では、国内の殆んどの県は廻った。
主に川とか、港などの水のある場所が多い。
特に昔のままのひなびた漁村、漁港が好きである。
こういう場所は、時代の流れか、めっぽう少なくなった。さびしい限りだ。
もう一つは、無人化した古い工場とか、スラム風の板張り或はトタン張りの下町などにも、あちこち旅しては捜して描く。
比較的に山とか、川とか自然そのものを描くことは少ない。
描いたとしても必ずどこかに人工的なものが出ている。
後藤勝美さんについては、以下のホームページをご参照ください。
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http://www.gayukobo.com/
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