Once upon a time 1969
手話通訳をする場合は、手話の「流れ」が必要である。
単語をひとつひとつを区切りをつけて表現していたのでは、手話を見るろうあ者も疲れる。
「はなしことば」は、連続したコミニケーションである。
と、同時に「はなしことば」には、はなし手の特徴やこころの揺れも出てる。
その特徴も手話の流れで表現する必要がある。
「虎三が悪い、と言うなら浪曲でも唸ろうか」
とヤジに切り返したことばに、手話通訳は即断が求められる。
浪曲=有名な広沢虎造と虎三の掛け合わせをどのように表現するのか、ということである。
ろうあ者も大爆笑 聞こえる人も大爆笑
手話通訳者は次のような表現をした。
「虎」「三」「悪い」「言う」・「浪曲」(演壇の形を空で描いて、扇子で演壇を叩くしぐさ)「とらぞう」「有名」「浪曲」「唸る」(顔の表情・しぐさで表す)「か?」
と手話通訳した。
「浪曲」(演壇の形を空で描いて、扇子で演壇を叩くしぐさ)「唸る」(顔の表情・しぐさで表す)は、ろうあ者に通じて、ろうあ者も大爆笑した。
聞こえる人々も手話通訳者が、どのような手話通訳をするのか見ていたらしく、ヤジの切り返しのおもしろさだけでなく、手話通訳の意味も分かったようで手話通訳者への惜しみない拍手が送られてた。
そのため選挙管理委員会が「静粛におねがいします。」をくり返した。
手話表現の知恵、表現を魅入っていた人々が
浪曲を聞いたことはなくても浪曲の舞台や様子はテレビでも放映されていたことをろうあ者は知っている。
そこでとっさにその様子を「しぐさ」で表す。
これが手話通訳だった。
その知恵、表現を魅入っていた人々が立会演説会終了後手話通訳の処にやってきて、「よかった」「すごい」と握手を求めてきた。
が、ふとみるとろうあ者席に同じ職場の同僚がいる。そこに声かけよって「アンタもきていたのか」「よかった、よかった。」という握手の輪が出来た。
ろうあ者も大感激だった。
大観衆と一体となる感動はこの時期から更に広がっていったが、もっとさらに、同じ職場の人や地域の人との「連帯の輪」が広がった。
昼休みの休憩時間ひとりぼっちの昼食がなくなった
お互いに話すことを遠慮していた。
聞こえる人はどのように話しかけたらいいのか分からないで躊躇していたが、「虎三が悪い、と言うなら浪曲でも唸ろうか」の手話通訳を見て、なーぁんだ、身振り手振りで、話が通じるのか、と分かり話し合いの切っ掛けがつかめたとのこと。
立会演説会に参加したろうあ者は、今まで想像もしなかった職場や地域の人から「話しかけ」られて、驚いたり、うれしかったり、手伝ってもらったり、手話を少しづつ覚えてもらったりするようになった。
昼休みの休憩時間。ひとりぼっちで昼食を食べていたけれどそうではなくなってきた。昼食食べにいこうや、と誘われて職場が楽しくなった。
などなどの報告がぞくぞく寄せられてくるようになって来た。
頭の中の理解ではなく行動する理解へ
多くの人々が行動する、参加する場にろうあ者が参加出来るようになると、職場や地域が変わってくる。
ろうあ者に対する、頭の中の理解ではなくともにいろいろの工夫をしてお互いの会話を成立させていくことが立会演説会が産み出した財産でもあった。
京都府下、すべての地域で立会演説会の手話通訳の保障がされた波紋は、次第に大きな波紋へとひろがった。
この机上の上の手話学習でない大手話学習は、その後のろうあ者の要求を支える人々の広がりだけでなく、ろうあ者が他の集会や学習会にも参加する切っ掛けとなっていく。
小さな一歩が、大きな一歩になって行く。
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